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1968年メキシコシティーオリンピックの体操競技
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1968年メキシコシティーオリンピックの体操競技(1968ねんメキシコシティーオリンピックのたいそうきょうぎ)は、1968年10月21日から10月26日の日程で行われた。
概要
男子団体総合は、日本が3連覇を達成した。世界選手権も含めると5連勝となった。男子個人総合は、首位を独走していたミハイル・ボローニンが最終種目のあん馬でミスをし9.50。0.35点差で追う日本の加藤沢男は最終種目のゆかで9.90を獲得し逆転優勝を果たした。種目別では、日本の中山彰規が6種目中3種目で金メダルを獲得した。
同年8月、チェコスロバキアの民主化運動がソビエト連邦により武力弾圧される事件、プラハの春が発生していた。同国のベラ・チャスラフスカは民主化運動を支持していたため、弾圧を逃れるべく潜伏を余儀なくされ、練習環境も不十分な中、開会式の5日前にメキシコに到着した。チェコスロバキア勢は共産主義を象徴する赤ではなく、濃紺のレオタードで競技に臨んだ。女子団体総合は、ソ連が優勝し。2位のチェコ・スロバキアとは0.65点差だった。女子個人総合では、チャスラフスカは2連覇を達成し、種目別でも4種目中3種目で金メダルを獲得した。平均台でナタリア・クチンスカヤ(ソ連)が優勝し、チャスラフスカの個人全種目優勝を阻止した。クチンスカヤは可憐な容姿と優美な演技でチャスラフスカと人気を二分し[1]、「メキシコの花嫁」「メキシコの恋人」等と讃えられた。なお、チャスラフスカが大会期間中に同郷の陸上選手J・オドロジルとメキシコで挙式したことも大きな話題となり、世界中から祝福された。
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競技結果
体操競技
男子
女子
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国・地域別のメダル獲得数
脚注
出典
外部リンク
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