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1993年ノルディックスキー世界選手権
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1993年ノルディックスキー世界選手権大会は1993年2月19日から2月28日までの10日間、スウェーデンのファールンで開催されたノルディックスキーの世界選手権。 同地では1954年、1974年についで3回目の開催となった。
- 本大会でクロスカントリースキーの新種目、パシュートが採用された。
- これは1日目にクラシカル走法で一定の距離を走り(男子10km、女子5km)、2日目に今度はフリー走法で一定の距離を走る(男子15km、女子10km)もので、2日目は初日のタイム差どおりに、首位走者を追いかけるように順次スタートする。なお、1日目は正規種目(男子10kmクラシカル、女子5kmクラシカル)のタイムを秒未満切捨てして採用する。
- 1991年にソビエト連邦とチェコスロバキアが解体されてから初めての大会で、各国がそれぞれ単独チームとして参加した。
- 15種目(クロスカントリースキー10種目、ノルディック複合2種目、スキージャンプ3種目)が行われた。
- 本大会では港に係留された客船が選手村として使用された。
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競技結果
要約
視点
日本代表選手の記録は全日本スキー連盟による[1]。
クロスカントリースキー
男子30km(クラシカル走法)
1993年2月20日
男子10km(クラシカル走法)
1993年2月22日
男子25kmパシュート(10kmクラシカル+15kmフリー)
1993年2月24日
2月22日に行われた10kmクラシカルの成績をそのまま採用、秒未満を切り捨てたタイム差順に出発する。 すなわち1位のジベルトセンが最初にスタート、4秒遅れてスミルノフ、さらに3秒後にウルバン…というように順次スタートする。
ノルウェーのビョルン・ダーリはカザフスタンのヴラジーミル・スミルノフと激しく競った末に金メダルに輝いた。スミルノフは「わずか16センチ」ダーリに及ばなかった。
男子リレー
1993年2月26日
男子50km(フリー走法)
1993年2月28日
女子15km(クラシカル走法)
1993年2月19日
ヴェルベは1991年にソビエト連邦が解体された後のロシア連邦共和国で初の金メダリストとなった。
女子5km(クラシカル走法)
1993年2月21日
女子15kmパシュート(5kmクラシカル+10kmフリー)
1993年2月23日
2月21日に行われた5kmクラシカルの成績をそのまま採用、秒未満を切り捨てたタイム差順に出発する。 すなわち1位のラズチナが最初にスタート、5秒遅れてエゴロワ、さらに6秒後にディベンダール…というように順次スタートする。
女子4x5kmリレー
1993年2月26日
女子30km(フリー走法)
1993年2月27日
ノルディック複合
個人 (ノーマルヒル K90/15km)
1993年2月18日
団体 (ノーマルヒルK90/3×10km)
1993年2月19日
日本はこの種目で2位に4分近い大差をつけて優勝した。 翌年のリレハンメルオリンピックではその差は5分近くに拡大した。 このためFIS(国際スキー連盟)は団体のルールを変更し1チーム3人×10kmから1チーム4人×5kmとして1995年の世界選手権と1998年の長野オリンピックで実施した。 この変更はジャンプの比重を低くするものであった。
スキージャンプ
成績はドイツ語版で補った。
団体ラージヒルK115
1993年2月19日 Lugnet
個人ラージヒルK115
1993年2月21日 Lugnet
ヤロスラフ・サカラはチェコ共和国にチェコスロバキア分離独立後初のメダルをもたらした。
個人ノーマルヒルK90
1993年2月27日 Lugnet
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国別獲得メダル数
ジャンプの団体でチェコとスロバキアの連合チームがメダルを獲得、チーム4人中チェコ選手3人なので0.75、スロバキア選手1人なので0.25としてカウントした。
脚注
外部リンク
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