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1996-97シーズンのシカゴ・ブルズ

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1996-97シーズンのシカゴ・ブルズは、ブルズのフランチャイズ31年目のシーズン。ディフェンディングチャンピオンのブルズはNBAファイナルユタ・ジャズを4勝2敗で破り、2年連続5回目の優勝を果たした [1]

概要 のシカゴ・ブルズ, ヘッドコーチ ...

チームはオフシーズンに1980年代中心に活躍していたセンターロバート・パリッシュを獲得、セントラル・ディビジョン優勝だけでなくイースタン・カンファレンス最高勝率となる69勝13敗の成績をあげた。

大黒柱のマイケル・ジョーダン及びスコッティ・ピッペンがこの年NBAオールスターゲームに出場した。その他にチームにはリバウンドのスペシャリスト、デニス・ロッドマン、得点力がありプレーメーカーのトニー・クーコッチ[2]スティーブ・カーなどが在籍した[3]

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レギュラーシーズン

ブルズは開幕から12連勝を果たし、オールスターブレイク前に42勝6敗の成績をあげた。シーズン最終盤にブライアン・ウィリアムズを獲得、彼は9試合に出場した[4]。チームはレギュラーシーズン最終戦のニューヨーク・ニックス戦でピッペンが逆転3ポイントシュートを外し敗れたため、史上初の2年連続70勝は果たせなかった[5]。ジョーダンは平均29.6得点で得点王となった。

プレーオフ

プレーオフでは1回戦でワシントン・ブレッツに3勝0敗、2回戦のアトランタ・ホークス戦ではホームのユナイテッド・センターで行われた第2戦を95-103で落としたが4勝1敗で勝ち上がり、イースタン・カンファレンスファイナルではマイアミ・ヒートを4勝1敗で破った。

NBAファイナル

NBAファイナル第1戦はホームのユナイテッド・センターで行われ、接戦となったが、終盤にジャズのエース、カール・マローンがフリースローを2本とも失敗[6]、ジョーダンがブザービーターを決めて84-82でブルズが先勝した。NBAファイナルでブザービーターが決まったのは、1985年のファイナルでボストン・セルティックスデニス・ジョンソンが決めて以来のことであった[3]。ホームで行われた第2戦にも勝利したが、敵地デルタ・センターで行われた第3戦、第4戦を落とし、対戦成績は2勝2敗となった。ジョーダンがインフルエンザに罹ったまま臨んだアウェイの第5戦も一時16点差をつけられたが、第2Qにジョーダンが17得点を挙げる活躍で点差を縮めた。ジョーダンは第4Qにも15得点をあげ、残り25秒には同点となる3ポイントシュートを決めるなど、38得点をあげ、90-88でブルズが勝利した[3]。第6戦、第4Q初めにブルズは9点差をつけられていたが、そこから10-0で逆転し、その後ブライオン・ラッセルの3ポイントシュートで同点とされた次の攻撃で、ベースラインからのジョーダンのフェイダウェイシュートで3点差とし[3]、残り28秒でジャズのシャンドン・アンダーソンがレイアップシュートをミス、ジャズはジョーダンのシュートを全力で止めようとしたが、ジョーダンは自らシュートをせずにスティーブ・カーにパスを出し、カーがこのシュートを成功[7]、ラッセルからアンダーソンへのインバウンズパスをピッペンがスティール、トニー・クーコッチがダンクを決めて90-86でブルズが勝利、ジャズを4勝2敗で破り、7年間で5回目の優勝を果たした。ファイナルMVPにはジョーダンが選ばれた[3]

シーズン終了後

シーズン終了後、パリッシュが引退[8]、ウィリアムズはフリーエージェントでデトロイト・ピストンズと契約を結んだ。

1997-98シーズンフィル・ジャクソンヘッドコーチがシーズン終了後退任し、それに伴ってジョーダンもブルズを退団するのではないかと注目される中、チームはNBAファイナルに進出、2年連続でユタ・ジャズと対戦したファイナルでは4勝2敗で6回目のNBAファイナル優勝を果たした[7]

レギュラーシーズン対戦成績

さらに見る チーム, ATL ...
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脚注

外部リンク

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