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2015年スリランカ議会総選挙
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2015年スリランカ議会総選挙(2015ねんスリランカぎかいそうせんきょ)は、スリランカの立法府である国会(225議席)の議員を選出するための選挙である[1][2][3][4]。
統一国民党(UNP)が率いた良い統治のための統一国民戦線(UNFGG)が前回選挙から46議席増やして106議席を獲得したが、過半数を獲得するには至らなかった[5]。一方で第2党となった統一人民自由同盟(UNFA)は49議席減らして95議席の獲得に留まった[5][6]。第三党のタミル国民連合(TNA)は前回選挙から2議席増やして16議席を獲得した[5]。
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選挙までの経緯
前回選挙は2010年4月に実施された[7]。この選挙では当時与党だった統一人民自由同盟(UPFA)が反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との戦いに勝利した実績を掲げて225席中144議席獲得という歴史的勝利を記録した[8][9]。その後同年9月には複数の野党議員の協力も得て第18次憲法改正を行い、UPFA党首でもあった大統領マヒンダ・ラージャパクサの権限を強化し、3選禁止条項を撤廃した[10] 。また大統領が最高裁裁判長の罷免と指名・任命を行えるようにした[11][12][13]。
そして2014年11月、ラージャパクサ大統領は満を持して大統領選の実施を宣言した[14][15]。しかし彼の予想に反して当時保健相を務めていたマイトリーパーラ・シリセーナが野党統一候補として出馬し当選[16][17]。ラージャパクサ大統領の3選は達成されなかった[18][19][20]。シリセーナはその後野党統一国民党(UNP)所属の議員を中心とした内閣を組織し[21][22][23] 、3月には追加の大臣をスリランカ自由党(SLFP)から選出し任命した[24]。
シリセーナは100日改革プロジェクトをマニフェストとして掲げたが、国会ではラージャパクサに従う議員たちによる反対に直面した[25][26]。その結果シリセーナは大統領権限の縮小と3選禁止条項の復活を定めた第19次憲法改正は達成したものの、その他の選挙改革には取り組むことができなかった[27]。そして100日計画のスケジュールは遅れ、UNPが総選挙の実施を要求した[28][29]。その結果、2015年6月26日に議会が解散された[30][31][32]。
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選挙制度
データ
各政党の動き
要約
視点
大小合わせて21の政党から合計3,653名、その他201の政治集団から合計2,468名、合わせて6,151名が出馬した[48][49][50]。
統一人民自由同盟(UPFA)
当時与党であったUPFAは同年の大統領選挙で敗れ、野党に転落した[51]。選挙後、UPFAとその主要構成組織であるスリランカ自由党(SLFP)はシリセーナ大統領の改革プログラムを支持すると宣言した[52][53]。そしてシリセーナは2015年1月16日にSLFP党首、同年3月14日にUPFA代表に就任した[54][55][56][57]。しかし依然としてUPFA/SLFP所属議員の多くは前大統領のラージャパクサを支持していた[54][55][56][57]。そして彼らはラージャパクサをUPFAの首相候補として推薦するよう要求した[58][59][60] 。これに対してシリセーナ派の議員は警戒感を露わにし、ラージャパクサの台頭を防ぐようシリセーナに求めた。しかしシリセーナ自身は静観を続けた[61][62]。これに「裏切られた」と感じたシリセーナ派の議員はその後統一国民党(UNP)と協力し良い統治のための統一国民戦線(UNFGG)結成へと動いた[63][64][65] 。
良い統治のための統一国民戦線
UNPはかつて少数民族を代表する小政党と連立を組んで前回選挙を戦ったが、その多くがUPFAに敗れてしまった[66][67]。そのため、今回の選挙前には連立を組まずに独自候補を立てる方針を掲げていた[68][69][70]。しかし実際の選挙戦が始まると、今回選挙でもUNPはスリランカ・ムスリム会議(SLMC)やタミル進歩連合(TPA)と協力して選挙を進めることとなった[71][72][73][74]。2015年7月12日、UNP、SLMC、TPAの3政党は国家遺産党(JHU)、SLFPの反ラージャパクサ派の議員らとともに良い統治のための統一国民戦線(UNFGG)を結成し、選挙戦に臨んだ[75][76][77]。UNFGGは大統領のシリセーナから支持を得られると考えていたが、シリセーナは中立を貫いた[78][79][80]。
その他の政党
スリランカ・タミルを代表しているタミル国民連合(TNA)は北部州と東部州で合わせて5つの選挙区に候補者を擁立し、20議席獲得を目標に掲げた[81][82]。人民解放戦線(JVP)は前回、前々回と政党連合に参加していたが、今回選挙では独自に候補者を擁立した[83]。サラット・フォンセカ率いる民主党は19の選挙区に候補者を擁立した[84]。
UNFGGに加盟していたスリランカ・ムスリム会議(SLMC)は2選挙区[85][86]、全セイロン・ムスリム会議(ACMC)も1選挙区で独自候補を擁立した[87]。またUPFAに加盟していたセイロン労働者会議(CWC)も3選挙区で独自候補を擁立している[88]。
シンハラ仏教ナショナリズムを掲げる政党ボドゥ・バラ・セーナは仏教人民戦線(BJP)という政党連合を形成し、16選挙区に候補者を擁立した[89][90]。
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結果
要約
視点
UNFGGが45.66%の得票を集め106議席を獲得したが、単独過半数を獲得するには至らなかった[91][92]。一方のUPFAも42.38%の得票を集め、95議席を獲得した。この結果を受け、首相の座を狙っていたラージャパクサは速やかに敗北を宣言した[93][94]。

- UNFGGは統一国民党(UNP)のシンボルを使用して選挙を行った。加盟していたのは全セイロン・ムスリム会議、民主国民運動、国家遺産党、ムスリム・タミル国民連合、良い統治のための国民戦線、スリランカ・ムスリム会議、タミル進歩連合、統一左派戦線、統一国民党の9政党。
- TNAはランカ・タミル連邦党(ITAK)のシンボルを使用して選挙を行った。加盟していたのはイーラム人民革命解放戦線、ランカ・タミル連邦党、タミル・イーラム人民解放機構、タミル・イーラム解放機構の4政党。
選挙区別結果
UNFGG勝利 |
UPFA勝利 |
TNA勝利 |
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脚注
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