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2023年北京地下鉄追突事故
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2023年北京地下鉄追突事故(2023ねんペキンちかてつついとつじこ)は2023年12月14日18時57分頃に中華人民共和国北京市海淀区で北京地下鉄昌平線の列車が西二旗駅から生命科学園駅の区間で追突して発生した列車衝突事故。北京市応急管理局からは「北京地下鉄昌平線「12・14」列車追尾事故(中国語: 北京地铁昌平线“12·14”列车追尾事故)」とも命名されている。 この事故により515人が病院で検査を受け、うち130人が骨折、3人が重傷、70人が軽傷を負ったが、死者は出なかった。直接的な経済損失は約950.8万元にも上るとされている[3]。
![]() | このページ名「2023年北京地下鉄追突事故」は暫定的なものです。(2025年10月) |
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概要
2023年12月14日18時57分頃、昌平線の西二旗駅から生命科学園駅間で電車を動かす集電装置が停電し、これにより一部の列車が線内で車両故障を起こした。これにより、線内を運行していたCP024列車とCP032列車が北京北動車運用所の西側、昌平線の上り線(昌平西山口駅方面)で追突事故を起こしたことが確認された。事故現場は二撥子新村と竜域社区公園の間、京新高速道路航天城二橋の東側で、列車の車体が圧迫、破損、分離し、一部の乗客が負傷した。
台湾のメディアである三立新聞台の報道によると乗客の一人は事故当時、停電により照明が全て消えた真っ暗な中で列車の衝突による大きな爆発音が響き、その直後に車体が分離したと述べた。子供が恐怖により泣き出し、妊婦が圧迫されて脚を骨折するなど、現場は混乱していたという[4]。
またシンガポールのメディアである端傳媒の報道では、事故を経験した乗客による証言を引用し、「現場では数人の乗客が地面に倒れ、救護を待っていた。目視で骨折を確認した人もいれば、叫び声を上げる負傷者もいた。清河駅から生命科学園駅までの区間は停電し、負傷していない乗客は大雪の中、線路脇の緊急通路を歩いて近くの西二旗駅、生命科学園駅、あるいは清河駅まで避難した。道中では担架を担いだ緊急救援隊員が現場に向かう姿が見られた。」としている[5]。
その他、ある乗客は事故時に7~8人が車内から転落したと証言した。女性客が頭部から出血し、胸部に衝撃を受けて不快感を訴え、病院で3針縫う処置を受けた。また別の乗客は1メートル以上吹き飛ばされ、またある少年は半意識状態に陥った。西二旗駅へ避難した後の状況はさらに混乱しており、異なる方向から避難してきた人々が駅に集まり、どこへ向かうべきかの地下鉄からの公式の指示がなされず、最終的に交通警察へ助けを求め、駅外の人波に紛れて避難目的で配置された臨時バスに乗ったが、乗客による混雑でバスが渋滞し、仕方なく下車して通りがかった自家用車に便乗してタクシーを拾える場所まで送ってもらったと証言している[6]。
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事故後の政府や北京地下鉄による対応
事故後、当該路線と接続する13号線は混乱から西二旗駅を一時的に閉鎖し、同駅を通過させる処置を取った。救援の人員が配置され、乗客を西二旗駅に避難させ保温や救援の物資を提供した[7][8][9]。中国共産党中央政治局北京市委書記の尹力氏や市委副書記で市長を務める殷勇氏らが現場に駆けつけて対応にあたった[10]。当局は沙河駅まで臨時のバスを手配したが、不足により依然として現場には1000人以上の乗客が滞留していた[11]。その後は22時34分時点で現場の避難作業は完了した。この初期調査では30人以上が負傷したと公表していた。負傷者は順次病院に搬送され、積水潭医院の新竜沢院区で治療を受けた[12][13][14][10]。
北京地下鉄は同日23時に公式の微博で事故について謝罪した。最終的な事後報告では515人が病院で検査を受け、130人が骨折したとした[15][3]。
事故翌日以降の列車運行

事故後、昌平線は事故の当該区間を除いた朱辛荘駅から昌平西山口駅の区間と西土城駅から学知園駅の区間で運転を再開した。事故現場の条件により、事故車両の撤去が遅れ、12月15日も昌平線は区間の運転見合わせを継続した。南側の列車の折り返す駅は清河駅から西二旗駅に変更され、朱辛荘駅から西二旗駅間では無料の代行バスが運行された。また、事故から閉鎖されていた13号線の西二旗駅は12月15日の始発より運行を再開した。 12月15日夜に事故車両は段階的に車両基地へ移動された。11両の車両(CP0241~CP0246およびCP0321~CP0325)はモーターカーで定泗路車両基地へ牽引され、CP0326はクレーンで吊り上げられて同車両基地内に搬送された。その後、このうちの6両(CP0241~CP0246)は雨晒しの試運転線に保管された。調査結果が公表された後、12両全てが定泗路車両基地に回送され、修理やその他の処置計画は未定となっている。 なお、事故の当該区間である西二旗駅から朱辛荘駅の区間は事故発生から2日後の12月16日の始発に運行を再開した[16]。北京地下鉄の他の地上路線および高架路線では12月15日より、従来の自動運転を手動での運転に切り替え、また徐行での運行を行った[17]。
調査結果
北京市交通委員会が12月15日正午に発表した初期調査によると、雪による軌道が滑りやすくなっており、前を走っていた列車(CP024)が停止信号により緊急停車し、後ろを走っていた列車(CP032)が下り坂の区間で十分に制動できず列車が追突したという[15]。 より詳細な原因として、CP024のさらに前を走っていた列車CP059が降雪による軌道の滑走で停止信号により停止し、CP024が信号機の前で停止していたことが原因とされた。追突した側の車両であるCP032は自動列車警報装置の作動により手動運転で西二旗駅を出発し、時速92kmで走行中に警報装置が作動したが、降雪による軌道の滑走で制動距離が延び、CP024に衝突した[18]。
事故後の2024年2月5日、北京市応急管理局は事故調査報告を公表した。報告書では、降雪による制動距離の延び、地下鉄側の暴雪警報時の対応の不足、運行指令員による不適切な対応、CP032の運転士の操作ミスが原因として挙げられた[3]。
報告書によると、北京市地鉄運営は事故前の3年間、降雪、非常時の避難、列車の衝突事故に関する防災訓練を実施しておらず、子会社である運営第四分公司も規定の頻度でのこれらの防災対策を行っておらず、また交通運輸の監督機関である北京市交通委員会も、2023年に関連部門と連携した緊急時の実際の訓練を行っていなかった[3]。
この事故により、北京市地鉄運営の運行指令センター主任と運営第四分公司の主任が解任され、運行指令センター第一運行指令所の主任が党内職務および行政職を解任された[3]。
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評価と反響
端傳媒の記者は、地下鉄の大規模建設後の運営・保守が課題となっていると指摘した。中国共産党北京市委員会の月例会では、地下鉄運営会社がコスト管理と効率向上の目標を達成したものの列車運行における安全管理に不足があると述べた[5]。 南方都市報は、暴雪や寒波といった極端な悪天候下において関係当局が列車運行の安全確保のための適切な措置を講じたのかと疑問を呈した。現場では案内が不足し、交通が麻痺し、緊急対応がより綿密で途切れのないものになる必要があると指摘した[11]。
脚注
関連項目
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