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ACキエーヴォ・ヴェローナ

イタリアのサッカークラブ ウィキペディアから

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アッソチャツィオーネ・カルチョ・キエーヴォヴェローナAssociazione Calcio ChievoVerona S.r.l.)は、イタリアヴェローナを本拠地として活動しているサッカークラブチーム。

概要 原語表記, 愛称 ...
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概略

キエーヴォというのはヴェローナの地区名の一つ[2]。同じくヴェローナのスタディオ・マルカントニオ・ベンテゴディをホームスタジアムとしているエラス・ヴェローナFC[2]との試合はダービーマッチとして盛り上がる。一地方都市の、その一地区を本拠に置くクラブがトップカテゴリーに昇格したのは長いイタリアサッカー史においても、このクラブが初である。

チームは1929年に設立、2001-02シーズンでセリエAに初昇格した[2]。昇格初シーズンは5位でシーズンを終え、一時は首位に立つなどその躍進は"ミラクル・キエーヴォ"と呼ばれた。2005-06シーズンは当初は7位でUEFAカップの出場が決まっていたが、ユヴェントスFCSSラツィオACFフィオレンティーナが不正事件でUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権を剥奪されたため繰り上がり、4位扱いでクラブ史上初めてCL出場権を得ることになった。だが2006-07シーズンは、CL予備予選3回戦でブルガリアレフスキ・ソフィア相手に不覚を取ったことをきっかけに終始低迷。最終節でカルチョ・カターニアに0-2で敗れセリエB降格が決まった。翌2007-08シーズンはセリエBで優勝し、1年でのセリエA復帰に成功。2018-19シーズンは過去3年に渡る不正会計が発覚し、勝ち点3を剥奪[3]。シーズンも低迷を続け、2019年4月14日にSSCナポリに1-3で敗れセリエB降格が決まった[4]。2020-21シーズンは8位に終わり、セリエA昇格プレーオフには臨んだものの、1回戦のヴェネツィアFC(5位)に敗れセリエA復帰は果たせなかった。

2021年7月26日、財政難により、カンピオナート・インテッレジョナーレに属していた1985-86シーズン以来となるセリエDへの降格が決まった[5]

2021年8月21日、セリエDの登録期限までにクラブの買取り手が現れずクラブは消滅することになった[6]

2021年8月24日、クラブのレジェンドであるセルジオ・ペリッシエによって、後継クラブとなるFC Clivenseが発足した。

キエーヴォの背番号30は自動車事故のため26歳で死亡したFWジェイソン・マイェレen:Jason Mayélé)に敬意を表すため、背番号31はキエーヴォで長きにわたり活躍したペリッシェを讃えるため、それぞれ永久欠番に指定されていた。

2024年5月、クラブはオークションによりキエーヴォの商標を獲得[7]。正式にACキエーヴォ・ヴェローナに改名した。クラブカラーはFC Clivense時代の白と青を継続している。

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チームカラー

ワンマン・オーナーのチームによく見られる金に物を言わせる大型補強は全くと言って良いほどせず、収支に合ったクラブ経営をしている。

典型的なプロヴィンチャであるが故、ワールドクラスの選手は皆無に等しい。無名の若手か、他のクラブで「もう終わった」と烙印を押されて追い出された選手で構成されている。しかし、若手選手の育成と伸び悩んでいる選手の再生には実績があり、このクラブをきっかけにビッグクラブに移籍したり、選手としてもう一華咲かせる選手を毎年の様に輩出している。

また、そういった選手が移籍する時に発生する莫大な移籍金や、若手選手をセリエB、セリエC等の下部カテゴリーにレンタルする際に発生するレンタル料でチーム財政を成立させている。

これはチームの親会社である「パルアーニ」(it:Paluani)が、イタリアでは有名な菓子メーカーだが年間売上高が日本円にして50億円しかない故、チームの補強に無駄な金は使えず、知恵と情報を使った補強を余儀なくされているからである。

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タイトル

国内タイトル

  • セリエB:1回
    • 2007-08
  • セリエC1:1回
    • 1993-94(ジローネA)
  • セリエC2:1回
    • 1988-89(ジローネB)
  • カンピオナート・インテッレジョナーレ:1回
    • 1985-86(ジローネC)
  • プロモツィオーネ・ヴェネータ:1回
    • 1974-75(ジローネA)
  • セコンダ・カテゴリア・ヴェネータ:4回
    • 1958-60(ジローネA), 1964-65(ジローネA), 1967-68(ジローネA), 1968-69(ジローネA)
  • セコンダ・ディヴィジオーネ・ヴェネータ:1回
    • 1950-51(ジローネA)
  • セコンダ・カテゴリア・ヴェロネーゼ・セツィオーネ・プロパガンダFIGC:2回
    • 1934-35(ジローネ・ウーニコ), 1935-36(ジローネ・ウーニコ)
  • セコンダ・カテゴリア・ヴェロネーゼ・ウニオーネ・リベーラ・イタリアーナ・デル・カルチョ:2回
    • 1932-33(ジローネA), 1934-35(ジローネ・ウーニコ)
ユース

国際タイトル

なし

過去の成績

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欧州の成績

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現所属メンバー

2021年1月31日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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永久欠番

レンタル移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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歴代監督

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歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

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エンブレム

1980年代、チームはヴェローナ県の紋章にある梯子をデザインしたエンブレムを用いていた。しかし同地区を本拠とするエラスのサポーターもシンボルマークに梯子を使っていたため、変更せざるを得なくなった。梯子は元々、13世紀頃に当地を支配したスカラ家の紋章に由来していたが、変更にあたりスカラ家の廟にあるカングランデ1世・デッラ・スカラ騎馬像をモチーフに採用した[2]

この頃、当時の会長が「いつかヴェローナでダービーマッチをやりたい」と発言した。これに対しエラスのサポーターが「キエーヴォとダービーをやるようになったらロバも羽を生やして飛んでいくよ(つまり、そんな事は絶対にありえないという事)」とからかった。この出来事の後、5部に所属していたキエーヴォは順調に昇格を果たし、2001年11月18日についにダービーは実現した[2]

厳密にはエンブレムの動物は馬だが、この出来事以来サポーターからは「il musso volanto(空飛ぶロバ)」と呼ばれ、クラブのマスコットもロバである。ただし、クラブはエンブレムの動物が何であるか公式な見解を示していない[2]

脚注

外部リンク

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