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アナ・ボテージャ
スペインの政治家 (1953-) ウィキペディアから
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アナ・ボテージャ・セラーノ(スペイン語: Ana Botella Serrano、1953年7月13日 - )は、スペイン・マドリード出身の政治家。国民党(PP)所属。

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経歴
1953年7月23日にマドリードに生まれ[1]、カトリック系の学校で初等教育を受けた[2]。マドリード・コンプルテンセ大学では法学を学び、卒業すると国家公務員となった[3]。1977年にホセ・マリア・アスナールと結婚した[4]。1978年には中道右派の国民同盟(AP)の党員となった[5]。
1996年には夫のアスナールがスペインの首相に就任し、ボテージャは2004年まで約8年間にわたってファーストレディであった。2003年5月25日のマドリード市議会議員選挙には国民党(PP)の選挙名簿第3位で臨んで当選。2007年には選挙名簿第2位で臨んで2選を果たした。アルベルト・ルイス=ガリャルドン市長の下で副市長を務め、社会福祉部(2003年-2007年)と環境部(2007年-2011年)を率いた[6]。
2011年5月22日のマドリード市議会議員選挙には国民党の選挙名簿第2位で臨んで3選を果たした。選挙名簿第1位で選挙に臨んでマドリード市長に再選したルイス=ガリャルドンは、マリアーノ・ラホイ政権の法務大臣に就任するために任期途中で辞任。これによって11月27日にはボテージャが後任のマドリード市長に就任した。マドリード初の女性市長である。2020年夏季オリンピックの開催地選考にはマドリードも立候補しており、2013年9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された第125次IOC総会(最終選考会)では最終プレゼンを行うスペイン代表団の一員となった[7]。
2014年9月9日の記者会見では2015年のマドリード市議会議員選挙に出馬しないことを表明した[8]。2015年5月25日に行われたマドリード市議会議員選挙後には、アオーラ・マドリードのマヌエラ・カルメーナがマドリード市長に就任し、ボテージャは6月13日に退任した。
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家族
1977年にホセ・マリア・アスナールと結婚したが、結婚時にはふたりとも政治家ではなく国家公務員だった。ボテージャとアスナールの夫妻は2男1女を儲けており、娘は2002年9月5日にアレハンドロ・アガグと結婚した。マドリードのエル・エスコリアル修道院で結婚式が行われ、来賓としてフアン・カルロス1世国王やソフィア妃、イギリスのトニー・ブレア首相が招かれた[9]。
その他
ファーストレディ期間だった1997年10月30日に三重県志摩スペイン村に来日来園した。 オリーブの樹を記念植樹し、2023年10月現在大木となっており丁寧に手入れされている。
選挙結果
脚注
外部リンク
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