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IN THE PRECIOUS AGE
浜田麻里のアルバム ウィキペディアから
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『IN THE PRECIOUS AGE』(イン・ザ・プレシャス・エイジ)は、浜田麻里の7枚目のアルバム。ビクター音楽産業/Invitationから1987年9月1日に発売された。
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制作
浜田の作品としては初の海外レコーディング作品であり、アメリカのロサンゼルスで行われた。経緯として、同時期に浜田がビーイングを離れ、体制を一新する必要があり、前作の『PROMISE IN THE HISTORY』(1986年)の頃からそれを見越して計画を立て、一気に新しい環境に向かえるように準備していったという[2]。この作品を発表したあたりから、音楽性もポップになっていったが、このことに関して浜田は「自分としては、ポップになろうと思ってアメリカに行ったわけでもないし、売れ線を狙ってこうなった、というわけでもなかったんです。ほんとに自然に周りの影響を受けて。それからアメリカに行って外から自分を見られるようになって、自分の中の頑なさが消えたのが大きかったですね」としたうえで「狭い日本の音楽シーンの中の狭いロックシーンの中の自分、っていうのを客観的に見て、肩肘張った頑なさみたいなのは無意味だし、古臭いなと思うようになって。自然に音楽的に広がってきたんだと思います」と語っている[3]。
サウンド・プロデュースは、後にガンズ・アンド・ローゼズ等を手掛けたマイク・クリンクが担当した[4]、浜田は「それまで自分が見知ったものよりも、もっとすごい、飛び抜けたプロデューサーがいるんじゃないかと思ってたんですよ。なのでアメリカに行ってみようと思ったんですね。彼と一緒に曲を探しに音楽出版社を回って、いろんな曲を聴いたり。そういう経験が自分にとってプラスになりましたね」と懐古している[3]。だが、浜田は求めていたのとは異なっていたと語っており「アメリカで会った人たちは、どちらかといえばエンジニアプロデューサーみたいな人たちが多かったから、アルバムの内容の細かい判断は全部自分でやるしかなかった。ぼーっとして何もやらなければ、誰かが代わりにやってくれたかもしれないけど、そうすると流されてしまって、全然私じゃないものになってしまったと思います。自分でジャッジしていかなきゃならなかった。だからより我が強くなった」としたうえで「ほんとの意味で自分がプロデュースしなきゃいけないんだって気持ちは強まりましたね。若い頃は、いちボーカリストとしての意識が圧倒的に強かったと思いますけど、そういう経験を重ねてアーティスト志向が強まってきたと思います」と懐古している[3]。
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批評
『CDジャーナル』は、「コワもてのハード・ロックにだって歌謡界への道はあると納得させた先駆的美形」と先見の明を評したものの、楽曲に関しては「いかんせん中身に新鮮さがなく、ズルッ」と否定的に評価している[4]。
収録曲
LPレコード盤
CD盤
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参加ミュージシャン
要約
視点
VOICE OF MINDS
FIRE AND ICE
999〜ONE MORE REASON〜
LOVELACE
IN THE PRECIOUS AGE
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FRONT PAGE
MY TRIAL
SELF-LOVE
SATURATION
FALL IN LOVE
AIN'T NO ANGEL
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リリース日一覧
脚注
外部リンク
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