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Lunatic Doll〜暗殺警告

浜田麻里のアルバム ウィキペディアから

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Lunatic Doll〜暗殺警告』(ルナティック・ドール〜あんさつけいこく)は、浜田麻里の1枚目のアルバムビクター音楽産業Invitationから1983年4月21日に発売された。

概要 浜田麻里 の スタジオ・アルバム, リリース ...
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背景

浜田が15歳の頃から、CMソングを歌唱するなど歌手として活動し、この頃からメジャー・デビューする話はあったという[1]。きっかけとして、浜田が大学時代に『EastWest』の予選に参加した際、レイズインの関係者に「ハード系の音楽性でぜひいきたい」と声を掛けられたことで、当時浜田の中で「どういう形でいつデビューをするんだろうっていうのは、ずっと模索していた日々」だったといい、趣味で始めた『ハードロックボーカル』に結びつき、そこで「『これは新しい!』と一気に開眼しました」と決心がついたため、メジャー・デビューに結び付いたという[1]

レイズインがビーイング系の事務所だった繋がりで、ヘヴィメタルバンドLOUDNESSのメンバーである樋口宗孝がサウンドプロデュースを手がける体制で制作が進み[1]1983年4月21日に、コピーライター糸井重里が発案したキャッチコピー麻里ちゃんはヘビーメタル[2]でメジャー・デビューを果たした。糸井を起用したきっかけとして、浜田いわくビクターの初代宣伝担当が糸井と友人関係にあり「軽く頼んだっていう感じだったと思います」と懐古している[1]

浜田をアイドル的な売り方をしていたことに加え、当時ヘヴィメタルがあまり一般的ではなかったため、コアなファンからは「ヘビメタにアイドル?」という冷めた反応で、ヘヴィメタルに馴染みのないリスナーは「ヘビメタなんか聞けないや」といずれも敬遠され、浜田は「初期の頃はそれなりにフラストレーションもありましたね」と懐古し[2]、同時に「『あぁ、そういうふうに括られるんだな』となった時点で腹を括ったようなところはありました。自分としては日本にないタイプの、洋楽的でパワフルな、すごく新しいと思われるような女性ボーカリストとしてハードな音でデビューしたいっていう、それだけでしたね」と語っている[1]

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批評

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『CDジャーナル』は、浜田のデビューが衝撃的だった理由として「ヘヴィ・メタ特有の攻撃性を清潔なイメージという名のオブラートで包み込んだからだ」と結論付けたうえで、2枚目のアルバム『ROMANTIC NIGHT〜炎の誓い』(1983年)と同時に批評し「ここで独自のハイトーン・ヴォイスやロング・ヴィブラートといった“麻里節”がすでに完成されているのはサスガだ」としたうえで「この初期の2作に関しては100%満足できるハズだ」に肯定的に評価している[3]

収録曲

LPレコード盤

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CD盤

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参加ミュージシャン

リリース日一覧

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関連項目

脚注

外部リンク

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