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MBSミュージックマガジン
ラジオ番組 ウィキペディアから
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MBSミュージックマガジン(エムビーエスミュージックマガジン)は、1977年10月3日[1] から1982年4月2日までの間のナイターオフ期間(毎年度の10月から3月まで)の平日20時台(21時台)に毎日放送(MBSラジオ)で放送されていたラジオ番組。
概要
ナイターシーズン中にこの時間で放送されているのは毎日放送ダイナミックナイター(現・MBSベースボールパーク)だが、これが放送されていない毎年度の10月から3月までのナイターオフ期間に、1977年度から1981年度まで5期連続で放送されていた。1年目の1977年度のタイトルは『ミュージックマガジン1180』[注釈 1] で[1]、2年目の1978年度からMBSミュージックマガジンとして放送した。
パーソナリティ陣は年度を重ねるごとに有名アーティストを起用するようになっていった。当時としてもトップのアーティストを揃えたパーソナリティ陣について、毎日放送の社史では「東京キー局でも決してプロデュースできない番組」とされている[2]。その中で、中島みゆきは金曜日に1978年度から1981年度まで4期連続で金曜パーソナリティを務めていた。なお、中島出演の本番組を聴いた当時のオールナイトニッポンプロデューサーの亀淵昭信がスカウトして1979年4月からスタートさせたのが『中島みゆきのオールナイトニッポン』である[3]。そして、1981年度は各パーソナリティとも2か月限定の出演であり、2か月ごとに総入れ替えとなる体制だった。
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放送時間
パーソナリティ
要約
視点
(カッコ内は当時の各新聞ラジオ欄に掲載されていた各日の番組テーマ)
1977年度(1977年10月 - 1978年3月)
1978年度(1978年10月 - 1979年3月)
1979年度(1979年10月 - 1980年3月)
1980年度(1980年10月 - 1981年3月)
1981年度(1981年10月 - 1982年3月)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
- 1981年10月〜1981年12月4日
- 月曜:さだまさし[8]
- 火曜:チャゲ&飛鳥[8]
- 主な企画に『自分たちのライブシーンをラジオで再現』するものなど[9]。
- 水曜:桑田佳祐、原由子[8]
- 主なコーナーに『ギター教室コーナー』など[9]。
- 木曜:横浜銀蝿、横山みゆき[8]
- 金曜:松任谷由実、松本和子[8]
- 主に『作詞教室』と『ゲストコーナー』の2コーナーを2本柱として進行[9]。
- 1981年12月7日〜1982年2月5日
- 1982年2月8日〜1982年4月2日
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脚注
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