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モダン・レコード

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モダン・レコードModern Records)は、1945年にハンガリー系ユダヤ人移民の子息のビハリ兄弟[1]によって設立されたアメリカ合衆国のレコード会社であり、レコードレーベルである。

概要 親会社, 設立 ...

モダン所属のアーティストには、ハダ・ブルックス、エタ・ジェイムズ、ジョー・ヒューストン、リトル・リチャードアイク&ティナ・ターナージョン・リー・フッカーらがいた。同レーベルは1940年代、50年代の大きな影響力を持つブルースR&Bのレコードの数々をリリースしたことで知られる[2]

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来歴

モダン・レコードは、ビハリ兄弟のサウルとジュールズの2人によって1945年、ロサンゼルスに設立された[3]。1947年以前はモダン・ミュージック・レコードModern Music Records)という名前であった[4]。兄弟の他の2名、レスターとジョーも経営には関わっていた[3]

設立の初期段階においては、モダンは他の零細レーベルのマスター・レコーディングを購入し、所有音源を拡大した。1951年にはビル・クインからゴールドスター・レコードのマスターを2千5百ドルで購入している。その内容はライトニン・ホプキンズとリル・サン・ジャクソンの未発表マスター32曲であった[5]。ビハリ兄弟は作曲者クレジットを得る目的でしばしば別名を使用した[2]。例えばサウル・ビハリはミドルネームがサミュエルだったことから、サム・リンという名前をソングライティング用に使用していた。R&Bのレーベルとしてスタートしたモダンは、より広範囲な聴き手にアピールするため、他のレーベルから出たR&Bのヒット曲をモダンのアーティストにカバーさせる手法を日常的に実践していた。

1958年、ビハリ兄弟はケント・レコードを設立し、モダンからのレコードのリリースを停止した[6]。1964年にはモダンは復活し、1965年にアイケッツがシングルをリリースして成功を収めている[7]。しかしながら、会社はその数年後に倒産し、業務を停止。同レーベルの音源は、1980年代にケント・レコードの音源とあわせて英国レーベル、エイスにライセンスされ、1990年代にはエイスがその権利を完全に取得した。英国のエイスが現在、モダン/ケントのマスター・テープとその権利を所有している[8]

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経営者とスタッフ

  • ビハリ兄弟のサウル、ジュールズ、ジョーの3人が主だった経営者であった。兄弟の長男、レスターは実際には時折関わる程度であった[9]。社長はサウル、ジュールズとジョーが副社長、レスターは営業と販売促進の責任者であった。但し、ジョー・ビハリの娘の証言によると社長はサウルではなくジュールズであったという[3]
  • アイク・ターナーは、1950年代にモダン・レコードのタレント・スカウトおよびセッション・ミュージシャンとして働いていた[2]。彼がモダンのために発掘したアーティストにはボビー"ブルー"ブランドハウリン・ウルフ、ロスコー・ゴードンがいた[10]B.B.キングとジョー・ビハリによると、キングをビハリ兄弟に紹介したのはターナーで、それが彼のRPMでのリリースに繋がった[9]
  • トニー・ヒドラーは1950年代後半にモダン・レコードのA&R担当であった。彼はその後CTレコードを皮切りに自身のレーベルを立ち上げ[11]、インパクト・レコードの社長も務めている[12][13]
  • オースティン・マッコイはモダン・レコードのアーティスト、セッション・ミュージシャン、レコーディング・セッション監督であった。彼は1950年代後半にモダンを離れ、マーキュリー・レコードのA&R担当となり、同社のビヴァリーヒルズ事務所に勤務した[14]
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アルバム

  • Modern Music: The First Year – 1945 (Ace CDTOP 1339, 2012)

以下のアルバムは、レコード番号"M-70nn"(モノラル)、"MST-8nn"(ステレオ)でリリースされている:

シングル(一部抜粋)

さらに見る レコード番号, リリース日 ...
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傘下のレーベル

脚注

外部リンク

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