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PWF世界タッグ王座

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PWF世界タッグ王座(ピーダブリューエフせかいタッグおうざ)は、全日本プロレスが管理、PWFが認定している王座。創設当初はPWFの認定に加え、NWAAWAからも併せて認可を受けたとの権威付けがなされた王座であった。現在は世界タッグ王座を構成しているチャンピオンベルトの1つである。

歴史

1984年4月に初代王座決定リーグ戦が行われ、スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ超獣コンビ)が初代王者となった。その他の初代王座決定リーグ戦出場チームはジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニアジャンボ鶴田&天龍源一郎鶴龍コンビ)、グレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル(ハイ・フライヤーズ)である。最終戦では馬場がハンセン&ブロディのツープラトン・パイルドライバー(テレビ中継の実況で倉持隆夫は「ツームストン・パイルドライバー」と言っていたが誤りである)を受け、さらに場外でハンセンにウエスタン・ラリアットを食らってKOされて翌日の試合を欠場し、馬場の連続試合無欠場記録は3711でストップした。

その後のタイトルマッチはハンセン組に鶴田組、天龍組が絡むことが多く、長州力ホーク・ウォリアー&アニマル・ウォリアーロード・ウォリアーズ)はほとんど顔を出していない。

1988年6月、第7代王者の鶴田&谷津嘉章五輪コンビ)とインターナショナル・タッグ王者のホーク&アニマルとの間で統一戦が行われ、鶴田&谷津が勝利して世界タッグ王座として統一された。

ベルトはPWFヘビー級王座のベルトを模したものが王座発足時に作成され、それが現在まで使用されている。

創設当時は全日本はNWAに加盟しており、NWAの規約上加盟団体は独自の王座には世界と冠することができなかったが、タッグ王座についてはNWA本部直轄の世界王座がなかったことからPWFのタッグ王座を世界タッグ王座とすることができた[1]

なお、PWF初代会長のロード・ブレアースはPWFヘビー級王座が出来た時にもタッグ王座の創設を提案していたが、馬場がインター・タッグ王座を全日本の看板とすることを選んだため、PWF発足の11年後という遅いタッグ王座創設となった。

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脚注

外部リンク

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