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アフガニスタン国立博物館
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アフガニスタン国立博物館(アフガニスタンこくりつはくぶつかん[注釈 1])[5]は、カブール市ダルラマン地区ダルラマン宮殿の向かい側の小道に位置する国立の博物館である。
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かつてはイラン文化、仏教文化、イスラーム文化など数千年にさかのぼる10万点以上の所蔵品を有し、中央アジアにおけるもっとも重要なものであるとみなされていた[疑問点][6]。ところが1992年に内戦が始まると、幾度もの略奪や破壊の憂き目に遭い、所蔵品の7割が失われた[7][8]。2007年以降多くの国際機関が遺失物の回収を支援しており、8000点以上の実績を上げている。
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歴史
要約
視点
→「アフガニスタンの歴史」および「冷戦」も参照
博物館は、バーラクザイ朝時代アマーヌッラー・ハーンの治世下の1919年に開館した[9]。
収蔵品はもともとバグ=エ・バラ宮殿内の収集であったが、1922年に移転、「珍品の部屋」としてその幕を開けた[10]。現在の場所に移されたのは1931年のことである[11]。歴史家ナンシー・デューティーは1964年『カブール博物館案内』を共著した。1973年、デンマーク人に新たに館の設計を依頼したが、施工はされなかった[12]。同年王政が倒れ、1978年には共産主義政権が成立。その翌年ソ連が政権の支援のため軍事介入し、10年後の1988年、撤退。しかし情勢は安定とは程遠かった。そうした混迷の情勢を背景に、1989年にはバクトリアの金がアフガニスタン中央銀行の地下金庫に隠されるなどした[7]。

1990年代初頭、ソ連解体に引きずられる形でナジブッラー政権が崩壊、内戦が始まる。これにより博物館は破壊され、収蔵品の7割が失われた[7]。1993年5月のロケット攻撃では古代の陶器が瓦礫の下に埋まる事態となった[13]。こうした事態を受け、ラッバーニー政権(情報文化省)は、保護のため収蔵品をカブール・ホテルへ輸送するよう指示した[12]。
1996年9月、職員らが残りの物品の目録を完成させた[6]。2000年ごろになるとターリバーンが台頭、実権を握るようになる。2001年2月から3月にかけ、ターリバーン政権は宗教的な理由から無数の美術品を破壊した[14]。同年11月には2750点以上の古代の美術を破壊したとされる[15]。

2001年より始まった対テロ戦争によりターリバーン政権が崩壊。米国らの支援を受けた北部同盟が政権を掌握した。そのような背景のもと、2003年から2006年にかけ、約35万ドルを費やし建物の改修が行われた。重要収蔵品は金属製の箱に封印され安全のため退避されていたが回収、また物品の一部がカブールの金庫[16]やスイス[17]で発見、2004年に改修され目録が作成された[18]。
2007年以降、ユネスコとインターポールは8000点以上の物品回収を支援してきた。最新のものとしては、ドイツからの石灰岩彫刻や、2012年に大英博物館からのべグラム象牙など約850点の遺物が挙げられる。
2013年、博物館はシカゴ大学東洋研究所と協力してモバイル博物館事業を始動した。2013年から2016年にかけては所蔵品の模造品をアフガニスタン全土の学校に届けた[19]。また、新たな施設も新設された[20]。
ところが2021年ターリバーン攻勢におけるカブール陥落後、ターリバーンによる破壊活動の懸念が再燃する中、2016年から同館の館長を務めているモハメド・ファヒム・ラヒミはその任に留まり所蔵品の保全を誓った[19]。2023年3月現在、モハメド・ズバイル・アベディが同博物館の館長代理を務めている[1][21]。
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所蔵
要約
視点

博物館にはクシャーナ朝や初期イスラム時代の遺物を含む数多くの象牙の宝物が収蔵されている。1990年代を生き延びたとされる最も有名な遺物の一つが、カニシカ王のラバタク碑文である。
考古学的資料
この博物館は、アフガニスタンでも最上級の考古学的発見物を収蔵している[22]。
貨幣
本館は膨大な歴史的硬貨を所蔵しており、オーストリアの貨幣学者ロバート・ゲーブル[23]はユネスコ後援の所蔵品監査でその総数を約3万点と報告している。アフガニスタンにて発掘された貨幣の大部分を所蔵している。全体は公開されていないが個々の埋蔵品や遺跡について公表はされている。アフガニスタンにおけるフランス考古学代表団(DAFA)はスクル・コタルの町で発見された硬貨を成果物として公開した。べグラムで発掘された物品は一部公開されている。ミル・ザカハ埋蔵品の一部は博物館に保管されていた。この極めて特異な埋蔵品には紀元前4世紀から紀元後3世紀にかけての膨大な数の銀貨と銅貨が含まれていた。埋蔵品の一部はDAFAによって公表されている。博物館は貨幣学者を学芸員に任命したが、その収集は学者にも一般にも公開されていない。
旅する宝物
バグラム、アイ・ハヌーム、テペ・フルロルの出土品、ティリヤ・テペの6基の墓から出土した金細工などの重要な所蔵品は2006年より世界を股にかけた巡回展示を続けている。これらはフランスのギメ東洋美術館、米国の4つの博物館、豪州の4つの美術館、カナダ歴史博物館、ドイツのボン博物館で展示され、最近では大英博物館でも公開された。巡回展示は継続中で、最終的にはアフガニスタン国立博物館に返還される予定である。
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関連項目
- アフガニスタン国立公文書館
- アフガニスタンの文化
- カーラ・グリスマーン
註釈
引用
外部リンク
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