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ジュゼッペ・ディ・サヴォイア
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ジュゼッペ・ベネデット・マリーア・プラチード・ディ・サヴォイア(Giuseppe Benedetto Maria Placido di Savoia, 1766年10月5日 トリノ - 1802年10月29日 サッサリ)は、イタリア・サヴォイア家の王子。儀礼称号は出生時よりモリアーナ伯であったが、1796年アスティ伯に叙爵されて以降は後者を使用した[1]。

サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世と、スペイン王フェリペ5世の娘である王妃マリーア・アントーニアの間の第12子・六男・末子としてトリノ王宮で誕生。1798年フランス軍のトリノ侵攻に伴い一族とともにサルデーニャ島に逃れた[2]。
1799年、ローマにいるカルロ・エマヌエーレ4世王は、マラリアに罹り病死したモンフェッラート公マウリツィオの後任として[3]、同じくサルデーニャに留まっていたジュゼッペをサッサリ州総督に任命した。しかしジュゼッペもまた1802年に起きたマラリアの流行の犠牲となって死に、アルゲーロのサンタ・マリーア大聖堂に埋葬された[4]。
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引用・脚注
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