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八丁堀の七不思議

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八丁堀の七不思議(はっちょうぼりのななふしぎ)は、江戸時代八丁堀(現・東京都中央区)の七不思議怪談だけではなく、江戸町奉行所の役人(与力同心)の屋敷地のあった八丁堀独特の風習や地名などが七不思議として語られた。

七不思議

要約
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岡本綺堂三田村鳶魚、当時の江戸を知る元町奉行所与力の佐久間長敬の記憶には異同があるため、伝わっている七不思議は8つ以上となる[注釈 1][1]

  • 儒者医者犬の糞 - 八丁堀に儒学者医者が多数住んでいること。江戸の町には犬がたくさんいて、犬の糞もたくさん落ちていたが、八丁堀には犬の糞と同じくらい儒者や医者が多かったことをいった。町奉行所の同心は、屋敷地として100坪を拝領されており、その一部を貸して家賃収入を得ていた。貸す際には、身元が確かな儒者や医者などを選んだため、多くの儒者医者がいたという。
  • 女湯の刀掛け - 八丁堀の銭湯には、女湯に刀掛けがあったこと。刀を差すのは男性である武士だけで、女湯には必要ないはずの刀掛けがあるのは、町奉行所の与力・同心が朝湯に入るためだった。男湯は朝湯をしようとする男性が多いため、ゆっくり湯につかるために与力・同心たちのために女湯が開放され、そのために刀掛けが用意された。
  • 奥様あって殿様無し - 与力は「旦那」と呼ばれたが、その妻は「奥様」と呼ばれた風習のこと。大名や旗本は「殿様」と呼ばれ、その妻は「奥様」と呼ばれた。しかし、八丁堀では妻は「奥様」と呼ばれたが、与力は「旦那」と呼ばれ「殿様」とは呼ばれなかった。夫が「旦那」であれば妻は「御新造」というべきなのに、そうではなかった。
  • 金で首がつながる(継げる) - 死刑(斬首刑)になるような罪を犯しても、八丁堀の役人たちへの賄賂(金)次第で手心が加えられたことを揶揄した。
  • ドブ湯 - 湯屋は元は足のみ洗うためのものであり、それをドンブリ入ると言ったのを略して「ドブ」といった。
  • 鬼の住居に幽霊が出る - 与力屋敷の高い板塀のために暗がりとなっていた新道に、白い首が飛び出し通行人の袖を引き留めるなどという怪談があったため「幽霊横町」の異名があった。ここで言う「鬼」は町奉行所役人のことを指す。
  • 地蔵の像がなくして地蔵橋がある - かつて多賀仁蔵という与力が、自分が金を出して屋敷の門前の入堀に石橋を架けたのを「仁蔵橋」と呼んだ。多賀家が潰れた後は与力たちが共有して「地蔵橋」と改称したという説が1つ。もう1つの説は、橋際に小さな石地蔵があったが、大火の後崩れてしまったと言う。
  • 百文あれば一日快楽の出来る土地
  • 一文なしで世帯が持てる土地
  • 地獄の中の極楽橋
  • 貧乏小路に提灯かけ横町
  • 寺あって墓なし
  • 佐瀬勇太夫の表裏
  • 血の井戸 - 南町奉行所の北東隅に稲荷社があった。その前にあった井戸には赤い錆が浮いており、赤い水を血に見立てた。
  • 婆々石 - 奉行所が建設される前から街道にあったという石。この石に腰掛けて老婆が茶菓子を売っていたが、御用地にされて生活が成り立たなくなったため、かたわらにあった藤の枝で首をくくって死んだ。この石を粗略に扱うと祟りがあるという。
  • 咲かずの藤 - 前述の「婆々石」に関連。老婆の死後、この藤の木は花が咲かなくなったという。
  • 入らずの長屋
  • ヒヨンの木
  • 暮れ六つに限って長屋見廻りの者は拍子木を打たず
  • 暮れ六つ以後、長屋では頬かぶりを禁ず
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脚注

史料

参考文献

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