トップQs
タイムライン
チャット
視点

和気貞臣

平安時代初期の貴族。和気仲世の三男。従五位下・大内記、大学允 ウィキペディアから

Remove ads

和気 貞臣(わけ の さだおみ)は、平安時代初期の貴族播磨守和気仲世の三男。官位従五位下大内記

概要 凡例和気 貞臣, 時代 ...

経歴

幼い頃に母を喪うが、定められたの基準を越えて悲しみ悼み、叔父・和気真綱はこれを深く哀れんだという[1]。若くして、治部卿安倍吉人に付いて老荘の教えを受ける。のちに、大学に入学して休まず研鑽し、承和8年(841年文章得業生に補せられ[2]、承和10年(843年対策を受験するも不第となった[3]

承和14年(847年)大学大允、嘉祥元年(848年大内記を経て、仁寿元年(851年従五位下叙爵する。のちに疱瘡を患ったために、仁寿3年(853年)4月14日卒去享年37。最終官位は大内記従五位下。

人物

聡明鋭敏である一方、質素素朴で華やいだところは少なかった。また、を非常に恐れた。些細な技能には興味が無く、ただ囲碁のみを愛好し、好敵手と相対した際は、日が暮れて対局が深夜に及んでも気がつかない程であったという[1]

官歴

続日本後紀』による。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads