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横浜市立盲特別支援学校
神奈川県横浜市神奈川区にある特別支援学校 ウィキペディアから
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横浜市立盲特別支援学校(よこはましりつもうとくべつしえんがっこう、英語: Yokohama City Special Support School for the Visually Impaired)は、神奈川県横浜市神奈川区にある視覚障害者を対象とした特別支援学校 [1]。2007年(平成19年)の改称前の名称は横浜市立盲学校で、1888年(明治21年)設立の鍼治揉按医術講習学校にルーツを持ち、日本で3番目に古い[1] 盲学校である。
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概要
視覚に障害がある者を教育の対象とした特別支援教育を行い、幼稚部、小学部、中学部、高等部を設置する[1]。高等部は普通科のほか、専攻科として、高等学校卒業後の18歳から50代までの者を対象に、保健理療科と理療科を設置している[1]。
専攻科の修業年限は3年で、保健理療科ではあん摩マッサージ指圧師の国家試験受験資格を、理療科ではあん摩マッサージ指圧師国家試験、はり師国家試験、きゅう師国家試験の受験資格を得ることができる。
在学者の多くはロービジョン(弱視)であり[2]、専攻科生徒の9割は中途視覚障害者である[3][4]。 また、特別支援学校のセンター的機能の一環として、視覚に係わる教育相談を、学外者も対象として0歳児の相談から受け付けている[5]。
沿革
1888年(明治21年)、眼科医の浅水十明(璡太郎)が当時の盲人の悲惨な状況[注釈 1]を教育によって克服することを志し、盲人数十名に対し、横浜市中区真砂町の自宅を仮校舎として鍼治揉按(しんちじゅうあん)医術講習学校を開き、和洋医学を教えた[6][7][8]。1889年(明治22年)7月25日に県から認可され、1890年(明治23年)には宮川町に校舎を新築移転した[6]。野毛町、住吉町、羽衣町、浪花町と移転しながら1907年(明治40年)に横浜盲人学校に改称する[6]。1912年(明治45年)には南吉田町に移転したが、1923年(大正12年)の関東大震災により校舎が全焼したため、翌1913年に西根岸上町に293坪の土地を購入し、移転した[6]。
1950年(昭和25年)、市に移管され横浜市立盲学校となる[9]。第二次世界大戦後に制定された学校教育法により、盲学校を設けることや小学部と中学部への就学を義務制とすることが定められており[10]、小学部・中学部・高等部が設置された[6]。東京教育大学附属盲学校教官だった靏見明音(つるみ みょうおん[11])が市立学校としての初代校長となった[6]。1952年(昭和27年)、現在地である西寺尾町(現・西寺尾)に移転した[6]。
1954年(昭和29年)には按摩師、鍼師、灸師の養成学校(専攻科2年)として文部大臣認定を受け、1973年(昭和48年)に高等部本科普通科・保健理療科、専攻科理療科を設置している(1990年(平成2年)に本科保健理療科を排して専攻科保健理療科を設置)[12]。 また、1969年(昭和44年)に幼稚部4・5歳児学級が、1981年(昭和56年)に3歳児学級が認可された[12]。
1990年(平成2年)には新校舎が完成[12]。 改正学校教育法[13]が施行された2007年(平成19年)には、横浜市立盲特別支援学校に校名を変更した[9][12]。
2004年(平成16年)からは、校内にはまっ子ふれあいスクールを開所[12]し、小学部・中学部児童生徒の放課後の育成支援を行う[14]。2011年(平成23年)からは横浜市立神奈川小学校内に盲特別支援学校弱視通級指導教室を設置[12]し、見え方に困難さのある横浜市立学校在籍の小中高校生に、週1回から月1回程度、通級指導によって見え方に関わる学習(自立活動)を行っている[15]。
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特徴的な活動
フロアバレーボール発祥の地
校内には、「フロアバレーボール発祥の地」のモニュメントが設置されている[12][16]。 1960年代に[17]、教員の田中四郎が視覚に障害があっても楽しめる「盲人バレーボール」として基礎を考案した[18]ことを記念するものである[注釈 2]。
フロアーバーレーボールは、1チーム6名で、3人ずつ前衛と後衛に分かれて、前衛はアイマスク等で完全に視覚を遮り、ボールのたてる音や仲間からの指示によって動き、後衛は弱視者または晴眼者が務める[17]。床上30cmに張ったネットの下にボールを通してプレイする[17]。
国際障害者年の1981年に、神奈川県内においては社会人の大会が県の主催で開かれ、盲学校の卒業生のチームや視覚障害者施設の職員・利用者のチームなどに広まっていった[19]。1998年に日本フロアバレーボール連盟が設立され、全国大会の主催や審判育成を行っている[17]。なお、晴眼者も一緒にプレイできるスポーツであることから、「フロアバレーボール」という名称に変更された[17]。
学校図書館の取組
学校図書館での活動が、読書バリアフリーの環境整備の事例として紹介されている[20][21][22]。
館内には拡大読書器[2]やDAISY再生機、書見台[2]等の読書支援機器や、音訳・点訳図書のデータベースサピエ図書館へのアクセス環境を整備し、レファレンスサービスや対面朗読を行っている[23]。
児童生徒や教員のニーズに応じて、墨字の原本から、点訳、音訳、拡大写本製作[24]、平易にリライト[25]したLLブック等への媒体変換を行っている[21]。図書館運営員と学校司書が1名ずつ常駐しているほか[23]、製作や対面朗読には多数のボランティアが関与している[26]。
製作したアクセシブルな図書は、学校から国立国会図書館へ提供[21]し、全国での視覚障害者等の利用に供するため、データの共有を行っている[注釈 3]。また、センター校機能の一環として当校から学外者にも貸出を行い、卒業生の進学後の学習のサポートも行う[21]。さらに、千葉県立千葉盲学校の学校図書館と、専攻科教材のテキストデータの相互利用協定を結び、製作が重複しないように連絡を取り合いながら教材を製作し、相互利用を行っている[21]。
ドラマ監修
2021年放送のドラマ「恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜」の監修・ロケに協力し、台本の準備段階から視覚障害当事者を含めた教職員が視覚障害教育の立場で助言し、演技指導にも関わった[27][28]。作品の主人公が弱視であり、フィクションで全盲ではなく弱視にスポットが当たることは少ないことから、視覚障害について知ってもらう機会となると判断し、テレビ局からの協力依頼に応じた[27]。
交通
関係者
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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