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自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり

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自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり(じゆうとわがままのさかいは、たにんのさまたげをなすとなさざるとのあいだにあり)は、福澤諭吉による言葉。

概要

学問のすゝめ』で述べられていた事柄である[1]

人間というのは誰しもが自由でいたいと思うものなのであるが、自己の自由を追求して行くと他者の自由と衝突することがある。このような場合に、それでもなお押し通そうとすれば我儘になるということである。そこで道徳心を持って抑制することが大人の責任であり、そのように進むことを止めるために社会的なルールや規制が設けられていくこととなる[2]

明治時代以前にも自由は存在していたのだが、その自由というのは現代の自由とは異なり、我儘に近いものであった。このため福澤諭吉は独立を説いた後にこの言葉で、自由と我儘とは異なるとしていた。この言葉からは我儘というのは他人に迷惑をかけるということが分かるのであるが、他人に迷惑をかけないとされている自由というのは福澤も説明していないし明らかではない。この説明の代わりに福澤はこのようなことを意味する言葉として自由と独立を合わせた自由独立という言葉を用いている。対してそれまでに用いられてきた自由である何でもできるような自由というのは自由自在という言葉で表す[3]

伊藤公平はこの言葉を持ち出して、自由というのは他人に悪影響を及ぼさない範囲であるということとする。続けて伊藤は、SNSで流されているプロパガンダや偽の情報は人間が作ったものであり、自由を侵すものであるとする。正しい情報であるとしても、ある側面だけを切り取った情報のみをSNSで配信するとなれば、これは相手の自由を制限しているということで悪質であるとする。このため広く様々な側面をとらえた事実に基づく情報を苦労して入手して、それらの情報を多角的に捉える学びを続けて、社会を正しく導く活動に勤しむべきであるとする[4]

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脚注

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