い号作戦
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い号作戦(いごうさくせん)とは[1]、日本海軍が1943年(昭和18年)4月7日から15日にかけて南東方面艦隊(第十一航空艦隊、基地航空部隊)と第三艦隊(機動部隊)所属の艦載機により、ガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行った作戦である[2]。4月7日に実施された空襲は、大本営発表によってフロリダ沖海戦と呼称された[3]。作戦名はいろは順の最初の文字にあやかって付けられた[4]。
概要 い号作戦, 交戦勢力 ...
い号作戦 | |
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作戦終了後の4月18日、搭乗員に訓示敬礼する山本五十六(向かって右に草鹿任一) | |
戦争:太平洋戦争 | |
年月日:1943年4月7日-4月15日 | |
場所:オロ湾、ガダルカナル島、ポートモレスビー、ミルン湾 | |
結果:本文参照 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 オーストラリア ニュージーランド |
指導者・指揮官 | |
山本五十六 草鹿任一 小沢治三郎 角田覚治 市丸利之助 上坂香苗 |
ダグラス・マッカーサー ウィリアム・ハルゼー |
戦力 | |
第11航空艦隊196機 第3艦隊184機 |
米陸軍第5航空軍、米海兵隊航空団、豪空軍の航空機約234機 |
損害 | |
航空機61[注釈 1] | 駆逐艦1 コルベット艦1 油槽船1 商船1沈没 航空機25 |
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作戦終了後の4月18日、一式陸上攻撃機に搭乗して最前線の視察にむかった連合艦隊司令長官山本五十六大将は、ブーゲンビル島上空で乗機を撃墜されて戦死した[5](海軍甲事件)[6]。