アイ・ハヌム
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アイ・ハヌム(Ai-Khanoum, Ay Khanum)は、アフガニスタン北部のタハール州にあったギリシャ人による古代都市で、アレクサンドロス3世による征服後の紀元前4世紀に作られたグレコ・バクトリア王国の主要都市。アレクサンドリア・オクシアナ (Alexandria on the Oxus) に比定され、後のエウクラティディア(ギリシア語版、英語版) (Eucratidia) の可能性もある。"Ai-Khanoum" という名称はウズベク語で「月の婦人」の意[1]。オクサス(Oxus、現在のアムダリヤ川)とコクチャ川(英語版)が合流する地点にあり、インド亜大陸への玄関口だった。アイ・ハヌムは約2世紀に渡り東洋におけるヘレニズム文化の中心地だったが、エウクラティデス1世の死後間もない紀元前145年ごろ遊牧民月氏の侵入によって壊滅した[2]。
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2022年11月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
概要 所在地, 地域 ...
所在地 | タハール州, アフガニスタン |
---|---|
地域 | バクトリア |
座標 | 北緯37度10分10秒 東経69度23分30秒 |
種類 | 都市 |
歴史 | |
完成 | 前4世紀 |
放棄 | 前2世紀 |
時代 | ヘレニズム |
文化 | ギリシャ人 |
追加情報 | |
発掘期間 | 1964年〜1978年 |
関係考古学者 | ポール・ベルナール |
状態 | 廃墟 |
閉じる
その遺跡は、1961年に当時のアフガニスタン国王ザーヒル・シャーが、狩猟をしていた際に偶然村人から石灰岩製のギリシャ的な彫刻を持つ柱頭を見せられたことを契機に発見された。1964年から1978年までポール・ベルナール(フランス語版)率いるアフガニスタン考古学フランス調査団が発掘し、ロシアの科学者も発掘を行っている。アフガニスタン紛争によって発掘は中断し、その地は戦場となってしまい、ほとんど原形をとどめていない。