アッシュル・ウバリト2世
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アッシュル・ウバリト2世(Ashur-uballit II、治世紀元前612年-紀元前609年)は古代メソポタミア地方の新アッシリア帝国の最後の王である。前王シン・シャル・イシュクンがニネヴェの陥落で死亡してから、残党を率いてハッラーンで立て直しを図ったが、新バビロニア軍の攻撃によりこれも失う。紀元前609年の戦闘を最後に史料から消え、ここに新アッシリア帝国は滅びた[4][5][6]。
概要 アッシュル・ウバリト2世 Ashur-uballit II, 在位 ...
アッシュル・ウバリト2世 Ashur-uballit II | |
---|---|
在位 | 前612年-前609年頃 |
アッカド語 | Aššur-uballiṭ |
出生 |
前645年頃[n 1] |
死去 |
前608年[2](37歳) |
父親 | シン・シャル・イシュクン?[3] |
テンプレートを表示 |
閉じる
アッシュル・ウバリト2世は現代の英語ではAshur-uballit IIまたはAssur-uballit II、Ashuruballit IIなどと表記し[7]、楔形文字ではと綴られる。アッカド語ではAššur-uballiṭ[8]であり、「アッシュル神は生き続ける」を意味する。