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アフゴーイ (ソマリ語: Afgooye, アラビア語: أفجويي) はソマリアの下部シェベリ州の南東部にある町。アフゴーイ地区の行政中心地。
ソマリアの首都モガディシュの西方25キロメートルにある[1]。町の中央部にシェベリ川が流れる。
2013年時点のアフゴーイの人口は約7万9千人[2]。アフゴーイ地区全体では13万5千人[3]。
中世、現在のアフゴーイを含むソマリア南部の多くの地域が、アジュラン国の支配下にあった[6]。
17世紀の終わり、イブラヒム・アデールがこの町を首都とするゲレディ国を建国。
1908年、イタリアがこの地を占領し、イタリア領ソマリランドとした[7]。イタリアはモガディシュとアフゴーイを結ぶ鉄道を建設した(後のモガディシオ・ヴィラブルッチ鉄道)。イタリア領であった1920年代、この地域ではバナナの栽培が豊富であり、すぐにソマリ料理にも取り入れられるようになった[8]。
その後は、イギリス軍政、イタリア信託統治領ソマリアなどを経て1960年にソマリア共和国の一部となった。
1980年代、アフゴーイはペルシア湾岸諸国の投資対象となり、クウェートの首長がラマダーンを過ごすのに使われたこともあった。
1991年からソマリア内戦が始まると、首都モガディシュの多くの住民が、アフゴーイに避難をした[9]。
2008年10月、アフゴーイ地区を洪水が遅い、多くの難民が被災した[10]。
2008年11月、イスラーム過激組織アル・シャバブはアフゴーイの町に厳格なシャリーアを課している[11]。
2009年8月には、ソマリア暫定政府の軍とアル・シャバブとの戦闘が報じられている[12]。
2011年8月、首都モガディシュからイスラーム過激組織アル・シャバブが撤退し、ソマリア暫定連邦政府の支配が確定してからは、アフゴーイにいた避難民がモガディシュに移動して人口は大きく減った[13]。
2012年5月25日、ソマリア暫定連邦政府はAMISOMの支援を受け、アル・シャバブからアフゴーイを奪還した[14]。
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