エドワード・セシル (軍人)
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エドワード・ハーバート・ガスコイン=セシル卿(英語: Lord Edward Herbert Gascoyne-Cecil KCMG DSO、1867年7月12日 – 1918年12月13日)、通称エドワード・セシル卿(Lord Edward Cecil)は、イギリスの軍人、行政官。イギリスの首相第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルの四男。陸軍軍人としてマフディー戦争、第二次ボーア戦争に参戦したのち、招聘を受けて当時イギリスの占領下にあったムハンマド・アリー朝エジプトの財務顧問を務め、第一次世界大戦を耐え抜いた[1]。最晩年にエジプト駐在イギリス高等弁務官レジナルド・ウィンゲート(英語版)と不和になって辞任したが、同年に結核を診断され、スイスのサナトリウムで病死した[1]。