カプア包囲戦
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この項目では、紀元前212年に始まった包囲戦について説明しています。1734年の包囲戦については「カプア包囲戦 (1734年)」をご覧ください。 |
カプア包囲戦(カプアほういせん)は、第二次ポエニ戦争中の紀元前212年から紀元前211年にかけて行われた、共和政ローマによるカルタゴと同盟したカプアに対する攻城戦である。ローマ軍は2人の執政官(コンスル)クィントゥス・フルウィウス・フラックスとアッピウス・クラウディウス・プルケルに率いられていた[4]。初回の戦闘でローマ軍は敗れたが、整然と撤退することができた。この勝利により、ハンニバルはローマのカプアに対する包囲を一旦は解くことができた。しかしながら、再びローマはカプアを包囲し、翌年にこれを陥落させた。
概要 カプア包囲戦, 交戦勢力 ...
カプア包囲戦 | |
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カプアの位置 | |
戦争:第二次ポエニ戦争 | |
年月日:紀元前212年 | |
場所:カプア | |
結果:カルタゴの勝利 | |
交戦勢力 | |
カルタゴ | 共和政ローマ |
指導者・指揮官 | |
ハンニバル | アッピウス・クラウディウス・プルケル マルクス・クラウディウス・マルケッルス |
戦力 | |
カンパニア兵6,000[3]及びカルタゴ軍30,000(ヌミディア騎兵2000) | 6個軍団及び6個同盟国軍団、約45,000 - 55,000 |
損害 | |
不明 | 不明 |
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