カーシージの戦い
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カーシージの戦い(英: Battle of Carthage (1861)、またはドライフォークの戦い、英: Battle of Dry Fork)は、南北戦争の開戦から3か月目、1861年7月5日にミズーリ州ジャスパー郡カーシージでおきた戦闘である。経験を積んだ北軍フランツ・シーゲル大佐が兵士1,100名を率いて、ミズーリ州を北軍に留めさせるために動いていた。ミズーリ州知事クレイボーン・F・ジャクソン自身が率いたミズーリ州軍は4,000名を米墨戦争の英雄スターリング・プライスに統率させ、他にも戦闘に参加しなかった非武装の2,000名がいた。この戦闘は、ジョー・シェルビー大尉が率いた独立系レンジャー部隊が戦場で導入した新しい戦術が大きく効いて、戦略的にミズーリ州軍の勝利となった[2]。この戦いの結果、ミズーリ州民の南部連隊への入隊を加速させることになったので、この戦争でのミズーリ州の方向を決める働きをしたことになった。