カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
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カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714年3月8日 ヴァイマル - 1788年12月14日 ハンブルク[1])はドイツの作曲家。ヨハン・ゼバスティアン・バッハが最初の妻マリア・バルバラともうけた次男。父よりも、父の友人ゲオルク・フィリップ・テレマンの作曲様式を受け継ぎ、ギャラント様式や多感様式を追究して、古典派音楽の基礎を築き、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンやベートーヴェンにも影響を与えた。
概要 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハCarl Philipp Emanuel Bach, 基本情報 ...
カール・フィリップ・エマヌエル・ バッハ Carl Philipp Emanuel Bach | |
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基本情報 | |
生誕 |
1714年3月8日 ドイツ国民の神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領 ヴァイマル |
死没 |
(1788-12-14) 1788年12月14日(74歳没) ドイツ国民の神聖ローマ帝国 自由ハンザ都市ハンブルク |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 古典派音楽 |
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生前は父のヨハン・ゼバスティアンよりも有名で、ヨハン・クリスティアンと同様に世俗的な成功を収めたが、本人は父の指導があったからこそ自分が成功することができたと訴え続けた。その意味においては、初期のバッハ神話を創り出した張本人であったと言える。
他のバッハ一族の作曲家と区別するために「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」などとも呼ばれ、晩年は後に父の尊称となる「大バッハ」とも呼称された。