グレート・ノース・オブ・スコットランド鉄道
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グレート・ノース・オブ・スコットランド鉄道(グレート・ノース・オブ・スコットランドてつどう、英語: Great North of Scotland Railway、GNSR)は、1923年の四大グループ化以前に、スコットランドの北東部で運行していた、スコットランド五大鉄道会社のうちの1社である。1845年に設立され、1854年9月20日にアバディーンのキティーブルースター(英語版)からハントリー(英語版)までの39マイル(約63キロメートル)で最初の旅客営業を開始した。1867年には、226.25マイル(約364.1キロメートル)の路線を有するようになり、これ以外に61マイル(約98キロメートル)の区間でも列車を走らせていた。
グレート・ノース・オブ・スコットランド鉄道 Great North of Scotland Railway | |
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1920年にグレート・ノース・オブ・スコットランド鉄道向けに製造された49号機「ゴードン・ハイランダー」、1964年撮影 | |
運行 | 1854年–1922年 |
後継 | ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 333 1/3マイル(536.4キロメートル) |
本社 | アバディーン |
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初期の拡大の時期の後、財務を取り繕った時期が続いたが、1880年代になると鉄道は一新され、急行列車が走るようになり、1880年代末にはアバディーン近郊輸送も受け持つようになった。GNSRの本線はアバディーンとキース(英語版)を結び、そこから西へエルギンまでは2通りのルートがあり、キースとエルギンのどちらでもインヴァネスへ向かうハイランド鉄道(英語版)の列車に連絡していた。ハイランド鉄道との連絡駅としては他にもボート・オブ・ガーテン駅とポーテッシー駅があり、またアバディーンでは南の方へカレドニアン鉄道およびノース・ブリティッシュ鉄道と連絡していた。GNSRの最終的な運行範囲は、アバディーンシャー、バンフシャー(英語版)、マレーの3つの行政区画を包含し、さらにインヴァネスシャー(英語版)とキンカーディンシャー(英語版)にも一部の短い路線が伸びていた[1]。
北海の港からの魚介類やスペイサイド(英語版)のウィスキー製造所から出荷されるウィスキーが重要な輸送貨物となった。イギリス王室は、バルモラル城へ向かうときおよび戻るときにディーサイド線を利用し、バルモラル城滞在中はアバディーンから毎日特別な「メッセンジャー列車」が運行された。GNSRが運営されていたほとんどの期間において、この列車は日曜日に運行される唯一のものであった。GNSRは3つのホテルと、20世紀初頭に発展した鉄道のフィーダーとなるバス輸送網を運営していた。1923年にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道のノーザン・スコティッシュ地域となり、333.5マイル(約536.7キロメートル)の路線と122両の蒸気機関車を引き継いだ。この機関車のほとんどは車軸配置4-4-0のテンダー式機関車であった。GNSRは何本かの支線を有していたが、アバディーン-インヴァネス線(英語版)の一部となったGNSR本線のみが引き続き運行されている。