コルヴァイ
ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州ヘクスター郡に存在する旧帝国修道院、侯の居城 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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コルヴァイ (ドイツ語: Corvey (Corvei, Korvei, Korvey), ラテン語: Corbeia nova, 中期低地ドイツ語 Corveyge) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州のオストヴェストファーレン地方の都市ヘクスター市に存在する旧修道院である。1792年まで帝国直轄(ドイツ語版、英語版)のベネディクト会修道院であった。
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英名 | Carolingian Westwork and Civitas Corvey | ||
仏名 | Westwerk caroligien et civitas de Corvey | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2), (3), (4) | ||
登録年 | 2014年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
コルヴァイは、カロリング朝で最も重要な修道院の一つであり、当時としてはこの国で最も価値の高い図書館の一つを有していた。この修道院は数多くの司教を輩出している。この修道院は 9世紀から 10世紀にザクセン地方の文化的、宗教的、経済的中心地に発展した。危機の段階を経て、コルヴァイは11世紀に改革修道院となった。その後、神聖ローマ帝国の聖界領邦としてのコルヴァイ修道院領が成立したが、中世後期にその重要性は失われた。コルヴァイ修道院は、近世初期にはニーダーライン=ヴェストファーレン帝国クライスに属した。この修道院は帝国諸侯会議で単独投票権を有していた。
三十年戦争の結果は、この修道院に存続の危機をもたらした。しかし17世紀後半から教会や修道院の建物がバロック様式で再建されている。その後、修道院は再び重要性と求心力を失っていった。1792年にこの修道院を司教領主(ドイツ語版、英語版)にする努力がなされた。1803年、帝国代表者会議主要決議により修道院領の独立は失われた。ただし司教は、1825年まで存続した。コルヴァイは、1820年にヘッセン=ローテンブルク方伯ヴィクトル・アマデウスの所有となった。彼の死後は、甥にあたるヴィクトル・エルププリンツ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルストが相続した。彼はラティボル公とコルヴァイ侯の2つの肩書きを手に入れた。その家族はこれ以後、コルヴァイに対する責任を負っている。
9世紀のフレスコを有するカロリング朝のヴェストヴェルク(ドイツ語版、英語版)は建築史上、飛び抜けて重要である。旧修道院教会は、バロック造形芸術の記念碑的存在である。教会近くの墓地には、ドイツ国歌の作詞者ホフマン・フォン・ファラースレーベンの墓がある。城館内には、カイザーザール、公爵のサロン、約74,000巻の書物を収める領主の図書館がある。
UNESCO は、2014年6月にコルヴァイを世界文化遺産に指定した[1]。現在公爵は市や郡と共同で、コンサートや展示会といった文化イベントを開催する博物館を城館内で運営している。