コンツァー・ブリュッケの戦い
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コンツァー・ブリュッケの戦い(コンツァー・ブリュッケのたたかい、ドイツ語: Schlacht an der Konzer Brücke)は仏蘭戦争中の1675年8月11日、フランス王国と神聖ローマ帝国の間で行われた戦闘。帝国軍が勝利した。
概要 コンツァー・ブリュッケの戦い, 交戦勢力 ...
コンツァー・ブリュッケの戦い | |
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戦争:仏蘭戦争 | |
年月日:1675年8月11日 | |
場所:トリーア選帝侯領、コンツ | |
結果:神聖ローマ帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | 神聖ローマ帝国 |
指導者・指揮官 | |
フランソワ・ド・クレキ | ロレーヌ公シャルル5世 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ゲオルク・ヴィルヘルム オットーネ・エンリコ・デル・カレット(英語版) |
戦力 | |
15,000 | 16,000 |
損害 | |
戦死2,000-6,000 負傷1,600 捕虜500-3,000 大砲11門と台車200 |
戦死1,000 |
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