ゴドフロワ・ド・ブイヨン
第1回十字軍に参加した諸侯の1人。初代聖墳墓守護者 ( エルサレム王 ) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ゴドフロワ・ド・ブイヨン (仏:Godefroy、蘭:Godfried、 独:Gottfried、 羅:Godefridus Bullionensis、1060年 - 1100年7月18日) は、中世フランス貴族[1][2]で第1回十字軍の指導者の1人である。また1099年から1100年にかけて、エルサレム王国最初の統治者として聖地を統治した貴族としても知られている。ただしゴドフロワはエルサレム王と名乗るのを避け、公または第一人者 (princeps) 、聖墳墓守護者などと名乗ったと伝わる[3][4]。ゴドフロワはブローニュ伯(フランス語版)ウスタシュ2世の次男として生まれ、1076年にはブイヨン領主(英語版)に任命された。そして1086年には、ザクセン人の大反乱(英語版)の鎮圧に参加し神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を支援したことを受けて、その褒章として下ロレーヌ公に任じられた。
ゴドフロワ・ド・ブイヨン | |
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![]() 1330年ごろに描かれたゴドフロワ・ド・ブイヨンの肖像 | |
次代 | ボードゥアン1世 |
先代 | コンラート2世 |
次代 | アンリ1世(英語版) |
出生 |
1060年 フランドル伯国(英語版) ブローニュ, |
死亡 |
1100年7月18日 エルサレム王国 エルサレム |
埋葬 | 聖墳墓教会 |
王室 | フランドル家 |
父親 | ウスタシュ2世 |
母親 | イド・ド・ブローニュ |
信仰 | カトリック教会 |
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1096年、ゴドフロワは彼の兄弟のブローニュ伯(フランス語版)ウスタシュ3世やボードゥアンと共に第1回十字軍に参加し、ニカイア包囲戦・ドリュラエウムの戦い・アンティオキア攻囲戦などの戦役に参加し、1099年のエルサレム包囲戦では重要な役目を果たした。レーモン4世がエルサレム国王への推戴を拒否したことを受け、ゴドフロワが代わりにエルサレム王国の統治者に選出された。その後王国南部のアスカロンでファーティマ朝と戦い、王国をムスリムから守り抜いた。この戦いでの十字軍の戦勝をもってして、第1回十字軍は終了したとみなされている。1100年7月、ゴドフロワは亡くなり、エルサレム王位は弟のボードゥアンに継承された。