タタル部ウィキペディア フリーな encyclopedia タタル部(塔塔児、Tatar)は、モンゴル帝国以前にモンゴル高原東部に存在したモンゴル系遊牧民族。『元史』などでは塔塔児、『集史』ではQaum Tātārと記される。チンギス・カンによって滅ぼされたが、その名は遊牧騎馬民族の代名詞となり、ヨーロッパに広まってタタールと呼ばれるようになる。また、宋代以降から漢化したオングト部が「白韃靼」と呼ばれたのに対し、漢化していないタタルをはじめとする諸部族を「黒韃靼」と呼んだ[1]。タタール部とも表記される。[2] 12世紀のモンゴル高原の諸部族
タタル部(塔塔児、Tatar)は、モンゴル帝国以前にモンゴル高原東部に存在したモンゴル系遊牧民族。『元史』などでは塔塔児、『集史』ではQaum Tātārと記される。チンギス・カンによって滅ぼされたが、その名は遊牧騎馬民族の代名詞となり、ヨーロッパに広まってタタールと呼ばれるようになる。また、宋代以降から漢化したオングト部が「白韃靼」と呼ばれたのに対し、漢化していないタタルをはじめとする諸部族を「黒韃靼」と呼んだ[1]。タタール部とも表記される。[2] 12世紀のモンゴル高原の諸部族