ナイル・キニック
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ナイル・キニック・ジュニア(Nile Clarke Kinnick, Jr. 1918年7月9日-1943年6月2日 )は、アイオワ州エイデル出身のアメリカンフットボール選手。身長173cm、体重77kgの小柄な選手だった[1]。アイオワ大学在学中の1939年にハイズマン賞を受賞した。第二次世界大戦が始まるとアメリカ海軍のパイロットとなった。訓練飛行中の1943年6月2日ベネズエラのパリア半島の沖合で事故死した。彼の死後1951年にカレッジフットボールの殿堂入りを果たし、1972年にはアイオワ大学のスタジアムはキニック・スタジアムと改称された。