ニコライ・ザテエフ
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ニコライ・ウラジミロビッチ・ザテエフ (ロシア語: Никола́й Влади́мирович Зате́ев, ラテン文字転写: Nikolai Vladimirovich Zateev,1926年6月30日 - 1998年8月28日)は、ソビエト連邦海軍の軍人。1961年7月に冷却水漏れ事故を起こした原子力潜水艦K-19の艦長として知られる。
概要 ニコライ・ウラジミロビッチ・ザテエフ Николай Владимирович Затеев, 生誕 ...
ニコライ・ウラジミロビッチ・ザテエフ Николай Владимирович Затеев | |
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生誕 |
1926年6月30日 ソビエト連邦 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、ニジニ・ノヴゴロド |
死没 |
(1998-08-28) 1998年8月28日(72歳没) ロシア、モスクワ |
所属組織 | ソビエト連邦海軍 |
軍歴 | 1943 - 1986 |
最終階級 | 大佐 |
除隊後 | 作家 |
墓所 | クズミンスコエ墓地(ロシア語版) |
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深刻な放射線被曝にもかかわらず、ザテエフとK-19のクルーの行動によって、最悪の事態はなんとか避けることが出来た[1]。事故後、ザテエフとクルーはソビエト連邦政府から「事故について一切話さない事」と誓わされた。ソビエト連邦の崩壊後ようやく、事故について明らかにする事を許されるようになった。ザテエフは後に事故の回顧録を出版し、これを元に多数の文学作品のほか、2002年のドキュメンタリー(K-19: Doomsday Submarine[2])、映画(K-19 (映画))[3]が作られた。この回顧録でザテエフは、ロシア初の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦の建造を急ピッチで進めたことを批判した[4]。
1961年7月4日のザテエフとクルーの行動により、2006年3月、その時生存していた乗員は共同でノーベル平和賞に推薦された[5]。