ニコライ・ロスラヴェッツ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ニコライ・アンドレーヴィチ・ロスラヴェッツもしくはニコラーイ・アンドレーエヴィチ・ロースラヴェツ(ロシア語: Никола́й Андре́евич Ро́славец, ラテン文字転写: Nikolai Andreevich Roslavets, 1881年1月4日 ロシア帝国/チェルニゴフ県スラージ[1] - 1944年8月23日 ソビエト連邦/モスクワ)は、ソ連建国期の重要なモダニズムの作曲家・音楽理論家。ロシア・アヴァンギャルドの作曲家の一人として前衛的な創作活動を行い、ソ連揺籃期において、西側の新音楽を積極的に擁護した。また、シェーンベルクとは別に、ロシアにおいて独自の十二音技法を発展させた作曲家であると見られたこともあるが、彼の作曲技法を「十二音技法」とするのは適切ではない、という指摘もあり、現在ではそのような見方は一般的ではなくなっている[2]。小品を含めて数多くの室内楽曲(5つの弦楽四重奏曲、6つのヴァイオリン・ソナタ、2つのヴィオラ・ソナタ、2つのチェロ・ソナタ、5つのピアノ三重奏曲など)を遺したほか、2つのヴァイオリン協奏曲と、5つの交響詩(うち3曲は紛失)を手懸けている。1930年代以降は弾圧された。
概要 ニコライ・アンドレーヴィチ・ロスラヴェッツНикола́й Андре́евич Ро́славец, 基本情報 ...
ニコライ・アンドレーヴィチ・ロスラヴェッツ Никола́й Андре́евич Ро́славец | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 | ロシア語: Николай Андреевич Рославец |
別名 | ウクライナ語: Микола Андрійович Рославець |
生誕 | 1881年1月4日 |
出身地 | ロシア帝国、スラージ |
死没 |
(1944-08-23) 1944年8月23日(63歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
職業 | 作曲家・音楽教師・音楽理論家・音楽評論家 |
閉じる