Loading AI tools
ドイツの都市 ウィキペディアから
バート・ザルツウフレン(Bad Salzuflen, )は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デトモルト行政管区リッペ郡に属す市で、温泉療養地である。2013年8月以降、バート・ザルツウフレンはクナイプ式水浴療法の保養地となっている。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | ノルトライン=ヴェストファーレン州 |
行政管区: | デトモルト行政管区 |
郡: | リッペ郡 |
緯度経度: | 北緯52度05分15秒 東経08度45分02秒 |
標高: | 海抜 72 m |
面積: | 100.05 km2 |
人口: |
54,585人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 546 人/km2 |
郵便番号: | 32105, 32107, 32108 |
市外局番: | 05222, 0521, 05221, 05232, 05266, 05208, 05228 |
ナンバープレート: | LIP |
自治体コード: |
05 7 66 008 |
行政庁舎の住所: | Rudolph-Brandes-Allee 19 32105 Bad Salzuflen |
ウェブサイト: | www.stadt-bad-salzuflen.de |
首長: | ディルク・トルケミット (Dirk Tolkemitt) |
郡内の位置 | |
地図 | |
バート・ザルツウフレンは、ラーフェンスベルガー盆地の東端、ザルツェ川とベーガ川がヴェレ川に合流する地点に面している。他のノルトリッペ地方の自治体に比べ、人口密度は高い。農耕地を主とする田舎風の地区が中心市街を囲んでいる。ヴェレ川とベーガ川の北東の大部分はリッパーベルクラントの森に覆われた丘陵地で、市域の高度は 250 m にまで達する。最低地点はヘルフォルトとの市境のヴェレ川で、約 34 m である。市域は、2008年以降、トイトブルクの森 / エッゲ山地自然公園に含まれる。
市域を、ヴェレ川、ベーガ川、ザルツェ川の川原の草地が貫いている。ポドゾルやスタグノゾル・褐色土が主たる土壌タイプである。ポドゾルの土壌は、第三紀の基盤を中生代の堆積物が覆ったものである。
こうした起伏の多い土地から湧出する塩分を多く含んだ鉱泉がバート・ザルツウフレンの特徴であり、この地域は「ハイルガルテン・ドイチュランツ」(ドイツの健康の庭)と呼ばれている。
名称 | 発見 | 深さ [m] | 温度 [°C] | 利用法 |
---|---|---|---|---|
パウリーネ源泉 Paulinenquelle | 1802 | 63 | 12.2 | 吸入、製塩 |
ローゼ源泉 Loosequelle | 1889/91 | 400 | 14.25 | 飲用療法 |
レオポルト泉 Leopold-Thermalsprudel | 1904/6 | 534 | 21.7 | 入浴 |
ノイブルンネン Neubrunnen | 1913 | 54 | 12.2 | 入浴 |
グスタフ・ホルストマン泉 Gustav Horstmann Thermalsprudel | 1919/27 | 1018 | 38.0 | 入浴 |
インゼル源泉 Inselquelle | 1936 | 52.4 | 12.6 | 飲用療法 |
ゾフィー泉 Sophienbrunnen | 1953 | 12.5 | 11.7 | 飲用療法 |
温泉源 III Thermalsprudel III | 1956/60 | 412.75 | 21.4 | 入浴 |
ゾフィー源泉(a および b) Sophienquellen (a und b) | 1962 | 49.6 9.0 | 13.05 13.55 | 製塩 入浴 |
地熱ゾンデや地熱ポンプを用いた地熱源の利用について、この地域は、「良好な」から「大変に良好な」環境にある[2]。
「大きな中規模都市」に分類されるバート・ザルツウフレンは、面積 100.06 km2 におよぶ。市域はおおむね楕円形であり、東西軸の最大長は約 13 km、南北軸の最大長は 11 km である。
用途別面積[3] | 農業用地 | 森林 | 宅地、空き地 産業用地 |
交通用地 | 水域 | スポーツ・緑地 | その他の用途 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
面積 (km2) | 57.40 | 15.28 | 17.21 | 6.38 | 1.09 | 2.38 | 0.33 | 100.05 |
占有率 (%) | 57.4 | 15.3 | 17.2 | 6.4 | 1.1 | 2.4 | 0.4 | 100.00 |
バート・ザルツウフレンは、東はレムゴー、南はラーゲ、南西はレーオポルツヘーエと境を接している。この3市町村はリッペ郡に属す。
西は郡独立市のビーレフェルト、北西はヘルフォルト、北はフロートー(この 2市はヘルフォルト郡に属す)と境を接する。バート・ザルツウフレンはヘルフォルトともにビーレフェルト都市圏に属す。
本市は、以下の 12地区からなる。人口が多い地区は、バート・ザルツウフレン地区、シェトマール、ヴェルル=アスペ、ヴュステンで、この 4地区で、バート・ザルツウフレン全体の人口の約 70% を占める。バート・ザルツウフレン、シェトマール、ヴェルル=アスペ、ホルツハウゼン、エールゼン=ブレーデンは、連続した住宅地を形成している。
地区 | 人口(人)[4] (2013年12月31日現在) |
地図 | |
---|---|---|---|
バート・ザルツウフレン | Bad Salzuflen | 19,522 | |
ビームゼン=アームゼン | Biemsen-Ahmsen | 1,468 | |
エールゼン=ブレーデン | Ehrsen-Breden | 3,242 | |
グラストルプ=ヘルゼン[* 1] | Grastrup-Hölsen | 798 | |
ホルツハウゼン[* 2] | Holzhausen | 3,112 | |
ロックハウゼン | Lockhausen | 3,198 | |
パーペンハウゼン[* 3] | Papenhausen | 56 | |
レッツェン | Retzen | 1,425 | |
シェトマール | Schötmar | 8,702 | |
ヴェルル=アスペ[* 4] | Werl-Aspe | 7,403 | |
ヴュルファー=ベクステン | Wülfer-Bexten | 1,798 | |
ヴュステン[* 5] | Wüsten | 3,795 | |
計 | 54,519 |
バート・ザルツウフレンは、中央ヨーロッパに典型的な、夏に最大の降水がある温和で湿度の高い気候である。年間平均気温は位置や高度にふさわしい 9.3 ℃である。803 mm の年間降水量は北ドイツのそれ (640 mm) やドイツ全体の平均値 (690 mm) よりもやや多いが、トイトブルクの森の山陰に位置する事からリッペの平均降水量 (877 mm) よりもやや少ない。
バート・ザルツウフレンの気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 3 (37) |
5 (41) |
8 (46) |
13 (55) |
18 (64) |
21 (70) |
22 (72) |
22 (72) |
19 (66) |
14 (57) |
8 (46) |
5 (41) |
13.2 (55.8) |
日平均気温 °C (°F) | 1.3 (34.3) |
1.9 (35.4) |
4.7 (40.5) |
8.3 (46.9) |
12.8 (55) |
15.8 (60.4) |
17.2 (63) |
17.0 (62.6) |
13.9 (57) |
10.2 (50.4) |
5.4 (41.7) |
2.5 (36.5) |
9.3 (48.7) |
平均最低気温 °C (°F) | -1 | -1 | 1 (34) |
4 (39) |
8 (46) |
11 (52) |
13 (55) |
13 (55) |
10 (50) |
7 (45) |
3 (37) |
0 (32) |
5.7 (42.3) |
降水量 mm (inch) | 68.1 (2.681) |
57.3 (2.256) |
62.2 (2.449) |
58.4 (2.299) |
72.3 (2.846) |
82.8 (3.26) |
72.9 (2.87) |
67.8 (2.669) |
63.7 (2.508) |
53.4 (2.102) |
88.1 (3.469) |
78.3 (3.083) |
803.3 (31.626) |
平均降水日数 | 17 | 15 | 12 | 15 | 13 | 13 | 15 | 15 | 13 | 14 | 16 | 15 | 173 |
平均月間日照時間 | 44.3 | 72.1 | 103.3 | 149.3 | 195.9 | 189.3 | 183.8 | 184.7 | 132.7 | 107.6 | 50.9 | 37.1 | 1,450.9 |
出典:平均気温、降水量、日照時間: ドイツ気象庁 (DWD): [5]、最高気温、最低気温、降水日数: WetterKontor[6] |
11世紀半ばに、"Uflon" という集落と、そこにある塩泉が初めて記録された。"Uflon" は、古高ドイツ語で「森に面した」という意味である。後にこの村は、"Uflen"、"Mitteluflen"、あるいは "Dorf Uflen" とも記述されている[7]。
塩分を含んだパウリーネ源泉の利用については、中世初期に初めて製塩所が建設された。この製塩所は、現在でも「ザルツホーフ」と呼ばれている集落に造られ、市章にもこの塩泉が描かれている。
利益の多い塩の交易とシュテルンベルク伯の奨励によって、この集落は都市へと発展し、15世紀に 4つの門と 3本の見張り塔を持つ環状の市壁が設けられた。門は、北(エクスター)向きのシュリープシュタイナー門、北東(ヴュステン)向きのヘスカンパー門、南東(シェトマール)向きのオスター門(東門)、西(ヘルフォルト)向きのヘルフォルダー門である。見張り塔の中ではカッツェン塔が現在も遺っている。三十年戦争が起こるまで、この「白い黄金」の交易は反映し、大いなる富をこの街にもたらした。装飾の豊かな民家や 1545/47年に建設された古い市庁舎は、こうした繁栄期の証拠である。本市に現存する最も古い建物は、1520年建造の 4階建ての建物である。
バート・ザルツウフレンは温泉業で知られている。3つの飲泉、3つの温泉、3つの塩泉源は、リッペの邦有温泉であった。およそ 100年前に創設された侯領の塩泉であるが、ザルツウフレンに「バート」(「温泉」と意味する)の称号を得たのは、1914年4月14日になってからである。
バート・ザルツウフレンは、塩の生産、地理上の位置、商業の繁栄などにより、資金難に瀕しなかった数少ない中世都市の一つである。このため、当時の典型的な様式の美しい建造物が数多く遺されている。泉の効力は新たな温泉の設営や、レオポルト泉などの別の源泉開発につながった。レオポルト泉の源泉の四阿は現在クールパルク内にある。温泉町への発展は街の景観を大きく変貌させた。ザルツホーフの製塩所は塩の生産を停止し、現在の「シュタットプラッツ」(市立広場)が設けられ、週の市や市祭が行われるようになった。枝条架装置(元来製塩に用いた装置であるが、呼吸器系疾患の治療にも用いられた)は、気道に疾患のある人々を集め村が形成されていった。時代の経過とともに土着の産業に変化が起こり、商業と温泉業が工業に取って代わり、数多くのペンションが利益を上げた。
19世紀の経済的発展は、1850年に設立され、後にヨーロッパ最大のデンプン工場となったホフマンス・シュテルケファブリーケンと密接に結びついている[8]。
戦略上、さほど重要でない位置にあるバート・ザルツウフレンは、第二次世界大戦中に連合国軍の爆撃をほとんど受けなかった。この街は比較的わずかな被害で戦争を切り抜け、戦後数多くの軍事顧問団本部が置かれた。
1909年から1924年までの間、バート・ザルツウフレンではバート・ザルツウフラー・ウント・シェトマールシェン・シュトラーセンバーンGmbH の路面電車が運行していた。また、1903年から1963年までの間、ヘルフォルダー軽便鉄道ヴァレンブリュック - シュペンゲ - ヘルフォルト - フロートー=ヴェーザーハーフェン線が市の西部を通っており、ヘルフォルダー通りが温泉街との間を結んでいた。
リッペ自由州に郡が設けられた 2年後の1934年に、バート・ザルツウフレンは郡所属市となり、レムゴー郡に編入された。
ノルトライン=ヴェストファーレン州の地域再編に伴い、1969年1月1日の「レムゴー郡新設に関する法律」に従って、バート・ザルツウフレン市とシェトマール市は他の10町村、ビームゼン=アームゼン、エールゼン=ブレーデン、グラストルプ=ヘルゼン、ホルツハウゼン、ロックハウゼン、パーペンハウゼン、レッツェン、ヴェルル=アスペ、ヴュルファー=ベクステン、ヴュステンとともに新設のバート・ザルツウフレン市として合併した。この他にクレントルプ、ニーンハーゲン、ヴェルストルフのそれぞれ一部も編入された[9]。
ビーレフェルト法に従って、レムゴー郡とデトモルト郡は1973年1月1日に合併してリッペ郡が成立し、これ以後バート・ザルツウフレンもこの郡に属している[10]。
バート・ザルツウフレンには様々な宗旨の異なる宗教団体が存在する。バート・ザルツウフレンはプロテスタントが主流のリッペ郡内に位置し、住民の多くは福音主義のキリスト教徒である。福音主義改革派教会は、改革派のリッペ地方教会のクラス・バート・ザルツウフレンに属し、福音主義ルター派教会はリッペ唯一のルター派クラスに属す。
バート・ザルツウフレンにはユダヤ教会は存在しない。最寄りのシナゴーグはヘルフォルトにあり、ヘルフォルト=デトモルト・ユダヤ教会に属す。
現在の宗教分布を知る手がかりの一つが、学生に対する所属宗教団体の調査である。これによれば、約 60 % が福音主義、10 % がカトリック、10 % がイスラム教に所属した。9 % がその他の宗教団体に所属し、無宗教は 11 % であった。
2011年の人口調査の結果[11]では、ローマ=カトリック 11.6 %、福音主義教会 54.5 %、その他や無宗教・宗教団体に所属しない人が 33.9 % であった。
1968年末までのザルツウフレンの人口推移を次の表に示す。* 印は国勢調査の結果である。
年 | 1590 | 1633 | 1636 (ペスト禍後) | 1760 | 1885 * (12月1日) | 1892 * (12月7日) | 1900 | 1916 | 1933 | 1946 | 1960 (7月21日) | 1968 (12月31日) |
人口(人) | ~ 2,000 | 1,472 | 865 | 1,003 | 3,992 | 4,300 | 5,396 | 7,919 | 9,217 | 14,090 | 17,273 | 16,690 |
1969年1月1日に成立したバート・ザルツウフレン、シェトマールおよび 10地区からなる新たなバート・ザルツウフレン市の人口は 47,930人で人口密度は 479人/km2 であった[12]。
地区 | 人口(人) | 面積 (km2) | 人口密度 (人/km2) |
---|---|---|---|
バート・ザルツウフレン | 16,690 | 13.76 | 1,213 |
シェトマール | 9,132 | 4.89 | 1,867 |
ビームゼン=アームゼン | 1,493 | 5.90 | 253 |
エールゼン=ブレーデン | 2,498 | 7.00 | 357 |
グラストルプ=ヘルゼン | 1,019 | 7.90 | 129 |
ホルツハウゼン | 2,865 | 8.36 | 43 |
ロックハウゼン | 2,706 | 9.32 | 290 |
パーペンハウゼン | 115 | 3.12 | 37 |
レッツェン | 1,436 | 7.14 | 201 |
ヴェルル=アスペ | 5,083 | 6.31 | 806 |
ヴュルファー=ベクステン | 1,683 | 7.74 | 217 |
ヴュステン | 3,181 | 18.62 | 171 |
計 | 47,901 | 100.06 | 479 |
1969年1月1日以後の人口推移を以下に示す。値は1969年以降のバート・ザルツウフレンの市域における各年の12月31日現在の人口である[13]。
年 | 1969 | 1974 | 2000 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 |
人口(人) | 47,901 | 51,678 | 55,028 | 55,145 | 54,020 | 54,772 | 54,673 | 54,413 | 54,273 |
バート・ザルツウフレンは州議会議員選挙 リッペ I 選挙区および連邦議会議員選挙 リッペ I 選挙区に属す。
市議会は 48議席で構成されている[14]。
2020年からディルク・トルケミット (CDU) が市長を務めている。彼は2020年9月13日の市長選挙決選投票で 55.91 % の票を獲得して市長に選出された[15]。
バート・ザルツウフレンの紋章は、青地に六角形の赤い井戸と 2本の銀(白)の汲み上げ柱、向かって左が上、右が下の金色(黄色)のバケット。その上に 8本の突起がある金色(黄色)の星 (Stern)。この星は、かつてシュテルンベルク (Sternberg) 伯領に属していたことを示している。
本市には 2つの作業共同体があり、フランスやイギリスの姉妹都市と時折相互訪問を行っている。
498席のクール・ウント・シュタットテアターは、劇場付きの劇団をもたない。デトモルト州立劇場やその他のアンサンブルが定期的に公演を行っている。
現在、福音主義改革派のキリアンス教会が建っているシェトマールの教会広場は、紀元800年頃にこの地域で最初の教会が建てられた場所である。ここは周辺の多くの集落を含む教区の本部である。現在の教会堂は、三廊式のネオゴシック様式ホール式教会で、5/8型の内陣(8角形のうち5辺が壁で、残る3辺はなくて身廊に向かって開いている形式の内陣)を持つ。西塔は上階が八角形であり、急角度の方形屋根に小塔型の明かり採りを戴いている。
福音主義改革派の市教会は、バート・ザルツウフレン旧市街内で最も高い「ハレンブリンク」と呼ばれる高台に位置している。中核部である中世後期のホール部分は火事で焼失した後、1762年に再建された。1892年に大規模な改修工事と増築が行われた。身廊の前にある塔は後期ゴシック様式である。この塔のウェルシュ風のボンネット型屋根は1782年に建設された。この教会の最も重要な調度品は、1765年にハインリヒ・カンプマイヤーによって造られた講壇である。市教会の近くにある集会所は、階段型破風を持つ漆喰塗りの建築で、1928年に表現主義の様式で建設された。
マルティン=ルター通りにある福音主義ルター派の救世主教会は、歴史主義的なネオロマネスク様式の建物である。建築家ヘルマン・ヘルトの設計に基づき、1891年から1892年にカール・ジーボルトの指導下で建設された。定礎は1891年7月12日になされ、1892年5月8日の喜び呼ばわれの日曜日に聖別された。1908年から1909年にカール・ジーボルトによって塔を含む西側の拡張が行われ、さらに1939年にもゲルハルト・バルケによって拡張された。
カトリックの聖母教会は、グラーベン通りとヴォルデマールとの角にある。この教会は1956年9月23日の鍬入れで建設が始まった。設計はパーダーボルンの建築家ヨーゼフ・ルカスによる。定礎は1956年12月8日になされた。聖別は1959年3月8日に「平和の女王、聖母マリア」の名の下に行われた。
グレヒテヴェークとフォルクハウゼン通りとの角にある福音主義ルター派の復活教会は1964年から1966年に建築家ロース(バート・ザルツウフレン)の設計に基づいて建設された。芸術的な姿は、ハンス=ヘルムート・ラートとマルガレーテ・ラートの芸術家夫妻の共同制作による。定礎は1964年7月13日、聖別は1966年5月1日の喜び呼ばわれの日曜日であった。復活教会は、ルター派と改革派の両派に利用されている。
新使徒派教会の教会堂は、ベート通りとアーゼンブルク通りの角にある。
トルコ=イスラム教会のモスク「メヴラナ・カミル」は2012年に公開された。シェトマールのヴァインベルク通りにある。
内市街には現在も、16世紀から17世紀に建設された木組み建築が遺されている。その多くが切妻造りの木組み建築である。装飾が豊かに施された家も珍しくない。マルクト周辺には石造建築も多くある。
クールガストツェントルム(療養客センター)前に、風景庭園につながるクールパルクへの入り口がある。120 haの敷地は、長時間の散歩に利用することができる、ドイツ最大の公園施設の一つである[22]。
クールパルクは、1907年からザルツェ川沿いに拡張され、草地、古木群や多くの花卉を包含している。園内の噴水や貸しボートがある大きな湖を介してこの公園は風景庭園につながり、さらにシュタットヴァルト(市の森)へ至る。市の森には自転車道や遊歩道が整備されており、フィーレンベルクのザルツウフレンのビスマルク塔やローゼ、ヘルフォルトのビスマルク塔へ行くことができる。
クールパルクの真ん中にバート・ザルツウフレンの象徴的建造物がある。レオポルト源泉の四阿である。この源泉の発見(1906年、深さ 534 m)によってザルツウフレンは温泉地となった。
シェトマールには、ジーテンクロン城館に付随する木立を有する公園がある。
地域を越えて成功したクラブに、女子ハンドボール部門がレギオナルリーガでプレイする SGクネッターハイデ/シェトマールや、ともにランデスリーガレベルで活動している TuS ベクスターハーゲンおよび SC バート・ザルツウフレンの卓球部門がある。特筆すべきは、HC 93 バート・ザルツウフレンで、過去にはハンドボール・ブンデスリーガ2部で活動したが、その後解散した。
サッカーでは、TuS バート・ザルツウフレンが1950年代に成功し、3年間、ヴェストファーレン・アマチュアリーガの最高リーグでプレイした。1978年に TuS は、トゥルナーブント・ドイチェ・アイヒェ・シェトマールと合併して SC バート・ザルツウフレンとなり、2008年からはヴェストファーレンのランデスリーガでプレイしている[23]。
教会合唱団や教会の青少年合唱団、ゴスペル合唱団、ブラスアンサンブルの他に、多くの合唱団(男声合唱団、女声合唱団、混声合唱団)がある。学校には学校合唱団があり、(多くは年に1度)公開のコンサートを開いている。アスペ学校センターには、エルテルン=レーラー=コーラス (ELCH) がある。ゴスペル合唱団「ゲット・アップ」は市の垣根を越えて活動している。
バート・ザルツウフレン・オーケストラは保養地の楽団であり、週に何度も保養客のためにコンツェルトハレで演奏を行っている[24]。
若者の文化は、1980年代にファスト・ヴァルトヴァイト・レーベルによってバート・ザルツウフレンにもたらされた。ここから、たとえばブルームフェルトやディー・シュテルネといったハンブルク派のバンドにつながった。これとは別にベルント・ベーゲマン、ベルナデッテ・ラ・ヘンクスト、ジルヴァーズルファーといったミュージシャンやバンドもバート・ザルツウフレンから誕生した。
リッペの料理であるピッケルトやヒンメル・ウント・エルデ(マッシュポテトとアップルソースの料理)の他に、バート・ザルツウフレン特有の名物料理はない。旬の時期にはケールの料理も好まれる。ビャクシンで香り付けした蒸留酒が食後酒として供される。
保養地としての特性や上述のアクティビティの他にも、本市にはレクリエーションの楽しみ方がある。一部を以下に記す。
バート・ザルツウフレンは連邦道 B239号線沿いに位置している。アウトバーン A2号線は市境に接しており、オストヴェストファーレン=リッペ・インターチェンジやヘルフォルト/バート・ザルツウフレン・インターチェンジ経由で素速くアクセスすることができる。現在のロックハウザー通りは、市の東部と西部を結んでいる。ベーガ川とヴェレ川を越える2つの道路は、市域にアクセスできる状態になかった。このため、80年代初めに4車線の高架道路の建設が必要となった。
1881年に運用が開始されたバート・ザルツウフレン駅はヘルフォルト - アルテンベーケン線の駅である。この駅では、ヘルフォルト - ラーゲ - デトモルト - アルテンベーケン - パーダーボルンを運行するRB72「オストヴェストファーレン鉄道」が 1時間毎に発着する。この他にシェトマールとホルツハウゼン(ジルバッハ駅)にも駅がある。
市域内は、1994年頃から市バスシステムによって結ばれている[33]。4路線(通学用路線を除く)からなるこのバスは、60分間隔に乗り換え地点の「アム・マルクト」を発着する。このバスの運行会社は、バート・ザルツウフレン都市施設局の子会社バート・ザルツウフレン都市交通会社 mbH である[34]。
周辺に位置するビーレフェルト、ヘルフォルト、レムゴー、および平日のエルリングハウゼンへは地方バスで往来できる。バート・ザルツウフレンは「デア・ゼクサー」運賃同盟(OWL交通 GmbH)に加盟している。
温泉地区では、観光巡回観光バス「パウリンヒェン・バーン」が運行している[35]。出発点は、クールパルク入口の枝条架装置前である。
広域自転車道ウェルネス自転車道とバーンラートルート・ヴェーザー=リッペがバート・ザルツウフレンを通っている。この他に、ゾーレラートヴェークをはじめとする地方の自転車道がある。クールパルクのザルツェ川沿いに自転車道が整備されているが、この他のクールパルク内の小径は自転車の通行が禁止されている。ヴェレ川沿いにヘルフォルトまで自転車・歩行者専用道が通っている。
内市街は、枝条架装置や保養施設まで歩行者専用地域である。
かつてのヘルフォルト軽便鉄道の軌道跡には、現在歩行者道が通っている(ラート=ハッセ=プロムナードなど)
駅前から、全長 77 km のカール=バハラー=ヴェークが始まる。この名称は、1976年に90歳でバート・ザルツウフレンで亡くなったリッペ地方のワンデリングの父カール・バハラーの栄誉を称えて名付けられた。フロートー、ホーエンハウゼン、リンテルン、バート・アイルゼン、ビュッケブルクを経由してニーンブルク/ヴェーザー郡のレーブルク=ロックムにまで通じている。市内を、全長 72 km の広域遊歩道ハンザヴェークが通っている。この遊歩道は、ヘルフォルトからヴェーザー川沿いの鼠捕り男の街ハーメルンにまで続いている。
ホフマン澱粉工場は、バート・ザルツウフレンで最も古い工業企業であった。この工場は、1850年9月28日にハインリヒ・ザーロモン・ホフマンによって現在のホフマン通りに創設された。ヨーロッパ最大級の澱粉生産者に成長したこの会社は、20世紀への変わり目頃には約 1,200人の従業員を擁しており、ザルツウルフェンで最も業績の良い企業であったばかりか、リッペにおいても最も成功した企業であった。1981年、バーゼルのチバ=ガイギー AG が過半数株を取得した。1985年にイギリスのレキット&コールマン PLC に合併され、1990年にザルツウルフェンの工場は廃止された。ホフマンの製品は現在、洗剤や日用品の世界的トップブランドの一つであり、ロンドン郊外スラウに本社を置くレキット・ベンキーザーが担っている。
本市には様々な形態の学校がある。各地区に密接した 9 校の基礎課程学校、3 園の学校幼稚園、本課程学校、実科学校、ギムナジウムを含むローフェルト学校センター[45]と総合学校、実科学校、ギムナジウムを含むアスペ学校センターがある[46]。両学校センターのギムナジウムは共同で運営されている[47]。アスペ学校センターの本課程学校は以前に廃止された。運営団体は総合学校の開設を承認したが、住民投票の結果この学校システムの導入は2009年春に否決された。2010年初め総合学校開設を求める 150名以上の請願があり、2010/11年の学年から総合学校が設けられた。また、学習障害者のためのエーリヒ・ケストナー・シューレが設けられた。2010年12月31日現在、本市には合わせて 373人の教員と 5,190人の生徒・児童がおり、生徒・児童の 35.5 % が基礎課程学校、8.0 % が本課程学校、21.0 % が実科学校、23.5 % がギムナジウム、8.5 % が総合学校、3.6 % が養護学校に在籍している[3]。
22園の幼稚園、合わせて 1550人の園児を受け容れられる。さらに市立の音楽学校や市民大学もある。
これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.