ヒルズボロの悲劇
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ヒルズボロの悲劇[注 1](ヒルズボロのひげき、英語: Hillsborough disaster)は、1989年4月15日にイングランド・シェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで行われた、サッカー・FAカップ準決勝のリヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦において発生した群集事故である。
ヒルズボロの悲劇 | |
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ヒルズボロの悲劇の記念碑 | |
場所 | イングランド ・シェフィールド |
座標 | |
日付 |
1989年4月15日 15時6分(UTC+0) |
概要 | スタジアム西側の入場ゲートの混雑を緩和するために出口専用ゲートを開放。その際、警備側が人員を配して新たに流入する群集を適切に誘導し、分散するなどの対策を講じなかったため、その多くが直近の立見席に殺到。結果、安全基準を上回る観客がすし詰めとなり、4月17日までに95人が死亡。2021年時点で97人の死亡が認定[1]。 |
原因 | サウス・ヨークシャー警察による観客誘導の失敗 |
死亡者 | 97人[1] |
負傷者 | 766人 |
対処 |
イギリス政府により1部・2部リーグに所属する全サッカークラブの使用するスタジアムに対し、全ての観客席を立見席から椅子席へ改装することを義務化。 事故当日の警備責任者であるサウス・ヨークシャー警察のデイヴィッド・ダッケンフィールド警視正とバーナード・マレー警視は2000年に行われた刑事裁判の結果、マレーは無罪。ダッケンフィールドは陪審による評決の合意に達せず取下げ。 死因審問は1991年に全員事故死とする評決を下したが、独立委員会の報告を受けて2012年に破棄し審理のやり直しが決定。2016年に不当な死だったとする評決を下した。 |
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「テラス(英語版)」と呼ばれるゴール裏の立見席に収容能力を上回る大勢のサポーターが押し寄せ死者96人、重軽傷者766人を出す惨事となったことからイギリスのスポーツ史上最悪の事故と評されている[9][10]。事故原因について当初はフーリガニズムとの関連性が指摘されたが、同年8月と1990年1月に公表されたテイラー・レポート(英語版)は警備側の観客誘導の不備にあったと結論付けた[9][11]。同レポートを基にスタジアム観戦のための新たな施策が導入され[12]、イングランドサッカー界を取り巻く環境を一変させたが、その一方で責任を負う立場にある個人や団体に対する追及が積極的に行われることはなかった[13][14]。
事故から20周年を迎えるにあたり全記録文書の開示を求める機運が高まると同書の調査を目的とした「ヒルズボロ独立委員会」が設立され、2012年9月12日に公表された報告書により観客誘導の不備のほか、緊急サービスの遅延や不十分な医療措置、警察関係者により捜査資料の改ざんや意図的な情報誘導が行われたことが明らかとなった[15]。同年12月19日、高等法院は死因審問の評決を破棄し審理のやり直しを命じると[16]、2016年4月26日に警備責任者の過失を認め、犠牲者は不当に亡くなったとする評決を下した[17][18]。