フランシス・プーランク
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フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(プランク、Francis Jean Marcel Poulenc フランス語: [fʁɑ̃sis ʒɑ̃ maʁsɛl pulɛ̃k] 発音例,1899年1月7日 - 1963年1月30日)は、フランスの作曲家、ピアニスト。歌曲、ピアノ曲、室内楽曲、合唱曲、オペラ、バレエ、管弦楽曲に作品を残した。とりわけ、ピアノ組曲『3つの無窮動』(1919年)、バレエ『牝鹿』(1923年)、チェンバロ協奏曲『田園のコンセール』(1928年)、『オルガン協奏曲』(1938年)、オペラ『カルメル会修道女の対話』(1957年)、ソプラノ、合唱と管弦楽のための『グローリア』が知られている。その作風の広さは「修道僧と悪童が同居している」と形容される[注 1]。
フランシス・プーランク | |
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プーランクとワンダ・ランドフスカ | |
基本情報 | |
生誕 |
1899年1月7日 フランス共和国、パリ8区 |
死没 |
(1963-01-30) 1963年1月30日(64歳没) フランス、パリ6区 |
職業 | 作曲家、ピアニスト |
ひとり息子として製造業で成功を収めた父から家業の跡取りとして期待をかけられ、音楽学校へ通うことを許されなかった。音楽は大部分を独学で身につけ、ピアニストのリカルド・ビニェスに師事した。ビニェスはプーランクの両親の死後、彼の指導者となった。また、エリック・サティとも面識を得て、彼の貢献の下で若き作曲家集団『6人組』のひとりとなった。初期の作品を通じて、プーランクはその高き精神と不遜さによって知られるようになる。1930年代には彼の性分により強く真剣みを帯びた側面が現れ、中でもそうした傾向が顕著な1936年以降に作曲された宗教音楽は、肩ひじ張らない作品と互い違いに発表されていった。
作曲家としての業績に加え、プーランクは熟達したピアニストでもあった。特にバリトンのピエール・ベルナック(プーランクが声楽作品を書くにあたり助言も与えた)やソプラノのドゥニーズ・デュヴァルとの共演ではその協力関係に称賛が贈られた。この両名を伴ってヨーロッパとアメリカで演奏旅行を行ったほか、ピアニストとして多数の録音を遺した。彼は蓄音機の重要性をいち早く認識した作曲家であり、1928年以降は幅広く録音を行っていた。
晩年、そして死後数十年にわたり、プーランクはとりわけ母国において軽妙洒脱な作曲家との名声を獲得する一方、その宗教音楽はしばしば見逃されてきた。21世紀に入って真剣さのある作品にもこれまで以上の注目が集まっており、世界中で『カルメル会修道女の対話』や『人間の声』の新たな演出が試みられ、演奏会や録音に歌曲、合唱曲が多数取り上げられている。