ポルトガル保護領コンゴ
かつてアフリカに存在したポルトガルの保護領 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ポルトガル保護領コンゴ(ポルトガルほごりょうコンゴ、葡: Protetorado do Congo Português)はポルトガル領コンゴまたは保護領カビンダ[1]とも呼ばれるポルトガルの保護領である。首都はカビンダに置かれた。後に、行政的にはポルトガル領西アフリカの一部となった。
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公用語 | ポルトガル語 | ||||||||||||||
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首都 | カビンダ | ||||||||||||||
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現在 | アンゴラ |
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- ポルトガル保護領コンゴ
- Protetorado do Congo Português (ポルトガル語)
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ポルトガル保護領コンゴの地図(1913年)
すでに事実上アンゴラの一部となっていた
ポルトガル領コンゴは、 コンゴ王国に属していたいくつかの小王国のうち、1885年にシムランブコ条約(英語版)に署名したものをまとめたものだった。コンゴ盆地の分割は当時開催されていたベルリン会議の重要議題で、ポルトガルは自らの勢力圏に保護領を設立した[2][3]。名目上、この保護領は、コンゴ川の南岸河口付近のサント・アントーニオ・ド・ザイール(英語版)から、東上してンバンザ=コンゴを通り、マケラ・ド・ゾンボ(ポルトガル語版)までのアンゴラ部分も管轄していたが、実際にはその範囲はコンゴ川よりもかなり北のカビンダとマッサビ(英語版)までであった[4]。
人口は変動があるが、最初の統計調査が行われたのはかなり遅く、 20世紀になってから行われたそれでは人口50,506人であった[5]。首都カビンダの1910年の人口は11,200人だった[6]。