マージョリー・ノエル
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マージョリー・ノエル(Marjorie Noël、本名はフランソワーズ・ニヴォ(Françoise Nivot)、1945年12月25日 - 2000年4月30日)はフレンチ・ポップスシンガー[1]。 1960年代中盤の短期間に活躍し、特に1965年のユーロビジョン・ソング・コンテストにモナコ代表で出場したことで知られる。
概要 マージョリー・ノエル, 基本情報 ...
マージョリー・ノエル | |
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ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場したノエル | |
基本情報 | |
出生名 | フランソワーズ・ニヴォ |
生誕 | (1945-12-25) 1945年12月25日 |
死没 | (2000-04-30) 2000年4月30日(54歳没) |
ジャンル | フレンチ・ポップ |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1964 -1967年 |
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ノエルはパリ出身で、1964年にレコードデビューした。 誕生日が12月25日だったため、「ノエル」という芸名が付けられた[2]。 両親の経営するカフェがフランス国立放送協会のTVスタジオに近く、そこに来店する作詞家や作曲家との出会いが歌手デビューのきっかけになった[3]。
翌1965年3月20日にイタリアのナポリで開催された第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場し、『Va dire à l'amour』(日本語題『慕情の季節』)を歌い、出場18組中9位となった[4][5]。同年、アンティーブで開催されたローズ・ドールにも出場している。
1966年7月に来日し、TV出演やレコード録音などが行われたが、一般客を対象としたコンサートは開催されなかった。
1967年にショービジネス界から引退するまでに7枚のEPレコードをリリースした。余生をひっそりと暮らしたノエルは、2000年4月30日にヴォクリューズ県カヴァイヨンにおいて脳溢血のために死去。享年54。