モンブリゾン
フランスのコミューン ウィキペディアから
フランスのコミューン ウィキペディアから
モンブリゾン (Montbrison)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、ロワール県のコミューン。
Montbrison | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | ロワール県 |
郡 (arrondissement) | モンブリゾン郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 42147 |
郵便番号 | 42600 |
市長(任期) |
リリアーヌ・フォール (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération Loire Forez |
人口動態 | |
人口 |
14 931人 (2008年) |
人口密度 | 914人/km2 |
住民の呼称 | Montbrisonnais, Montbrisonnaises |
地理 | |
座標 | 北緯45度36分30秒 東経4度03分57秒 |
標高 |
平均:? m 最低:370 m 最高:552 m |
面積 | 16.33km2 (1 633ha) |
公式サイト |
モンブリゾンはフォルズ地方の一部である。まちはフォルズ平野の端に位置し、フォルズ山脈の麓にある。コミューン内をヴィゼジー川、モワン川が流れる。リヨンより75km、サン=テティエンヌより37km離れている。モンブリゾン駅はクレルモン=フェラン - サン=ジュスト=シュル=ロワール路線(fr)の駅である。
コミューン最古の記録は870年にさかのぼる。モンブリゾンはフォルズ伯爵の城周囲に生まれ、その中心地となった。
百年戦争初頭、イングランド軍との軍事衝突からまちは城壁で囲まれた。フランソワ1世はモンブリゾンを王領に併合している。ユグノー戦争中、モンブリゾンはユグノー軍に占領され荒らされた。
1643年、ヴィジタシオン修道院が創建された(修道院建物は現在の裁判所がおかれている)。1648年から1653年は農作物の不作が続いたため、黒死病や飢饉が起きた。
1792年9月、王政廃止が宣言されると、コミューンは対オーストリア戦争のために義勇軍を募った。修道士や宗教施設は追放され、モンブリゾンの聖クララ会聖職者たちはフォレズ山脈へ逃れ、農民たちに匿われていた。
牛乳で作られるブルーチーズの一種、フルム・ド・モンブリゾン(fr)は、2002年より単独でAOCとなった[1][2]。それまではアンベールのフルム・ダンベールと一緒くたにAOC認定されていた(1972年より[3])。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 |
---|---|---|---|---|---|---|
10 697 | 11 213 | 12 451 | 13 280 | 14 064 | 14 589 | 14 931 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.