ヨハン・グスタフ・ドロイゼン
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ヨハン・グスタフ・ドロイゼン(ドイツ語: Johann Gustav Bernhard Droysen、1808年7月6日 – 1884年6月19日[1])は、プロイセン王国ポンメルン州トレプトウ(英語版)生まれ、ドイツの歴史家、政治家。
概要 ヨハン・グスタフ・ドロイゼン, 生誕 ...
ヨハン・グスタフ・ドロイゼン | |
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生誕 |
Johann Gustav Droysen (1808-07-06) 1808年7月6日 プロイセン王国ポンメルン州トレプトウ(英語版) |
死没 |
(1884-06-19) 1884年6月19日(75歳没) ブランデンブルクベルリン |
国籍 | ドイツ |
職業 | 歴史家、政治家 |
著名な実績 | ヘレニズムの命名 |
影響を受けたもの | ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ |
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歴史家として特にギリシャ史を研究し、アレクサンドロス大王以後の時代について「ヘレニズム」を提唱した最初の人物である[2][3][4]。また、政治家としてはドイツ三月革命が1848年に起こるとフランクフルト国民議会の議員となり[5]、プロイセンを中心とするドイツ統一を主張してプロイセン学派を牽引した。