リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)
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第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(Richard Plantagenet, 3rd Duke of York, 1411年9月21日 - 1460年12月30日[1])は、15世紀イングランドの貴族で軍人である。プランタジネット家の血を引く王室の一員であり、百年戦争末期のフランスの戦場では軍司令官として、ヘンリー6世の精神錯乱期には護国卿(在位:1454年 - 1455年、1455年 - 1456年、1460年)としてランカスター朝に仕えた。
「ヨーク公リチャード」はこの項目へ転送されています。同名の孫でエドワード4世の息子、エドワード5世の弟のヨーク公リチャードについては「リチャード・オブ・シュルーズベリー (ヨーク公)」をご覧ください。 |
概要 リチャード・プランタジネット Richard Plantagenet, 3rd Duke of York, 出生 ...
リチャード・プランタジネット Richard Plantagenet, 3rd Duke of York | |
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3代ヨーク公 | |
ラドロウにあるセント・ローレンス教会のステンドグラスに描かれたヨーク公リチャード | |
出生 |
(1411-09-21) 1411年9月21日 |
死去 |
(1460-12-30) 1460年12月30日(49歳没) イングランド王国、ウェイクフィールド |
埋葬 | イングランド王国、ポンテフラクト、のちフォザリンゲイ |
配偶者 | セシリー・ネヴィル |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヨーク家 |
父親 | ケンブリッジ伯リチャード・オブ・コニスバラ |
母親 | アン・モーティマー |
役職 | イングランド護国卿 |
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後にリチャードは王位を求めてヘンリー6世に反旗を翻し、これを契機に薔薇戦争が勃発した。1460年7月のノーサンプトンの戦いでランカスター派を破ったリチャードはヘンリー6世に次期王位継承者に指名させるまでに至ったが、同年末にウェイクフィールドの戦いで敗死した。自身は国王になれなかったが、息子のうちエドワード4世とリチャード3世がそれぞれ国王になった。