リュティヒ作戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
リュティヒ作戦(リュティヒさくせん、独: Unternehmen Lüttich)とはノルマンディーの戦いの中で行われたドイツ軍の反攻作戦に与えられたコード名であり、1944年8月7日から13日にかけて、モルタン近郊にいたアメリカ軍との間で戦われた。(リュティヒ(Lüttich)はベルギー、リエージュ(Liége)のドイツ語読み、ドイツは第一次世界大戦中の1914年8月の初めにそこで勝利を得た)この攻勢作戦は、ノルマンディーの戦いを記した英米の歴史書では、単にモルタンでの反撃として記録されている。
概要 リュティヒ作戦, 交戦勢力 ...
リュティヒ作戦 | |
---|---|
リュティヒ作戦で破壊されたドイツ装甲部隊の縦列、1944年8月 | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1944年8月7日-1944年8月13日 | |
場所:フランス、ノルマンディー地方、モルタン | |
結果:連合軍の決定的勝利 | |
交戦勢力 | |
アメリカ合衆国 イギリス |
ドイツ国 |
指導者・指揮官 | |
オマール・ブラッドレー | ギュンター・フォン・クルーゲ |
戦力 | |
5個歩兵師団 3個機甲戦闘団 アメリカ第9空軍 イギリス第2戦術空軍 |
3個装甲師団 2個歩兵師団 5個(装甲または歩兵)戦闘団 |
損害 | |
戦死 2,000から3,000 | 戦車 150両以上 歩兵の損害は不明 |
| |
閉じる
攻撃はアドルフ・ヒトラーによって命じられ、アメリカ第1軍がコブラ作戦以降に獲得した地を取り返すとともに、コタンタン半島の付け根にあたるアヴランシュ地域の海岸に到達する事によって、ブルターニュ半島に進出していたアメリカ第3軍の部隊を孤立させることも目的にしていた。
ドイツ軍の主力は第XLVII装甲軍団であり、SS装甲師団1個半と、国防軍2個装甲師団から構成されていた。アメリカ軍第VII軍団に対する攻撃は、初期には成果を得たものの進撃はすぐに停止した。そして連合軍の航空機は攻撃部隊に大きな損害を与え、最終的に攻撃に参加した戦車の半数近くが失われた。モルタン近郊での戦闘はその後6日間続いたが、ドイツ軍の攻撃が始まったその日のうちにアメリカ軍は戦闘の主導権を取り返した。
ドイツ軍の現地指揮官がヒトラーに対して警告したように、攻撃の成功はほとんど期待できなかった。そして装甲予備戦力をノルマンディー戦線の西端に集中した事は悲惨な結果を招くことになる。南側面を包囲されるとともに戦線の東端が崩壊したため、ノルマンディにいたドイツ軍の多くはファレーズ・ポケットと呼ばれる大包囲に捕えられてしまった。