三式戦闘機
大日本帝国陸軍が運用した戦闘機 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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三式戦闘機(さんしきせんとうき)「飛燕」(ひえん)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機である。開発・製造は川崎航空機が行い、1943年(昭和18年)に制式採用された。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である[1]。
川崎 キ61 三式戦闘機「飛燕」
当時の日本で唯一の量産液冷戦闘機であり、ドイツの液冷航空エンジンDB 601を国産化したハ40を搭載した。防弾・武装のない試作機は最高速度590 km/hを発揮した。主翼より後部の機体下部にラジエーター・ダクトを搭載し、機体の空気抵抗低下と冷却効率の両立を図った[注釈 1]。
搭載エンジンのハ40が生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。エンジンの生産遅延から、製造してもエンジンを搭載することができない、いわゆる首無しの機体が工場内に大量に並ぶ異常事態も発生した。このため、星型空冷エンジンハ112-IIを急遽搭載した五式戦闘機[注釈 2]が後に生産された。