中ソ紛争
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この項目では、1929年に起こった中華民国とソビエト連邦の間の紛争について説明しています。1934年に起こったソビエト連邦による中華民国領新疆への侵攻については「ソ連による新疆侵攻」を、1969年に起こった中華人民共和国とソビエト連邦の間の紛争については「中ソ国境紛争」をご覧ください。 |
1929年の中ソ紛争(ちゅうそふんそう、中国語: 中東路事件、ロシア語: Конфликт на Китайско-Восточной железной дороге(中国東方鉄道紛争)、あるいは、Дальневосточный конфликт(極東紛争))は、中東鉄道を巡りソビエト連邦と中華民国の間で起こった軍事衝突である。中東路事件[3]、奉ソ戦争とも呼ばれる。北伐を終えて統一された中国にとって外国との初めての交戦であった[3]。紛争の発端は、中ソの共同管理下に置かれていた中東鉄道の利権を、中国が実力で回収しようとしたことにある。ソ連は自衛を理由に軍を満洲国境地帯に送り込み、張学良軍を粉砕し全ての権益を回復した。その後原状復帰を内容とする停戦協定が結ばれてソ連軍は撤収したが、中国側は協定の無効を主張して再交渉を要求し続けた。