九七式艦上攻撃機ウィキペディア フリーな encyclopedia 九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)は、日本海軍の艦上攻撃機[3]。競争試作された2機種が両方とも採用されたため、この名を持つ飛行機には全く設計の異なる中島製(B5N)と三菱製(B5M)の2種類が存在するが、通常は中島製(B5N)を指す。略称は九七式艦攻または九七艦攻。アメリカ側のコードネームは、中島製の一号/三号がKate(ケイト)、三菱製の二号がMabel(メイベル)。 中島 B5M/N 九七式艦上攻撃機 九七式三号艦攻 用途:艦上攻撃機 設計者:中村勝治(B5N)[1]、高橋巳次郎(B5M)[2] 製造者:中島飛行機(B5N)、三菱重工業(B5M) 運用者: 大日本帝国(日本海軍) 初飛行:1937年1月8日(B5N)、1936年11月21日(B5M) 生産数:1,400機(B5N)、約150機(B5M) 運用状況:退役 表示
九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)は、日本海軍の艦上攻撃機[3]。競争試作された2機種が両方とも採用されたため、この名を持つ飛行機には全く設計の異なる中島製(B5N)と三菱製(B5M)の2種類が存在するが、通常は中島製(B5N)を指す。略称は九七式艦攻または九七艦攻。アメリカ側のコードネームは、中島製の一号/三号がKate(ケイト)、三菱製の二号がMabel(メイベル)。 中島 B5M/N 九七式艦上攻撃機 九七式三号艦攻 用途:艦上攻撃機 設計者:中村勝治(B5N)[1]、高橋巳次郎(B5M)[2] 製造者:中島飛行機(B5N)、三菱重工業(B5M) 運用者: 大日本帝国(日本海軍) 初飛行:1937年1月8日(B5N)、1936年11月21日(B5M) 生産数:1,400機(B5N)、約150機(B5M) 運用状況:退役 表示