北条種時ウィキメディアの曖昧さ回避ページ / ウィキペディア フリーな encyclopedia 北条 種時(ほうじょう たねとき) 金沢流北条氏: 鎮西探題・北条政顕の子(長男か)。正和5年(1316年)、父が探題を辞任したのを受けて、探題職を代行した[1]。鎮西探題滅亡時に北条英時らと自害[2]。 赤橋流北条氏: 北条久時の子。官位は従五位下修理亮。鎌倉幕府第16代執権・北条守時の弟で、鎮西探題・北条英時の兄にあたる。北条政顕の猶子になったとの説もあり、この場合上記と同一人物となる。
北条 種時(ほうじょう たねとき) 金沢流北条氏: 鎮西探題・北条政顕の子(長男か)。正和5年(1316年)、父が探題を辞任したのを受けて、探題職を代行した[1]。鎮西探題滅亡時に北条英時らと自害[2]。 赤橋流北条氏: 北条久時の子。官位は従五位下修理亮。鎌倉幕府第16代執権・北条守時の弟で、鎮西探題・北条英時の兄にあたる。北条政顕の猶子になったとの説もあり、この場合上記と同一人物となる。