原宿のファッション史
日本の東京都渋谷区原宿の歴史 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
原宿のファッション史(はらじゅくのファッションし)では、日本の東京都渋谷区の原宿におけるファッションの変遷を説明する。
原宿では1964年の東京オリンピック後の「原宿族」以降、若者たちによる流行発信地となる。オリジナリティある若者たちを受け入れる土壌があった原宿には、1960年代から1970年代にかけてセントラルアパートに文化人、クリエイターらが集い、少人数で衣服の生産から販売まで手がけるマンションメーカーが相次いで創業するなど、ファッションの街としての基礎が形成される。1970年代末からは竹下通りが若者たちの心を捉えていき、「竹の子族」が活動した。1980年代には主にマンションメーカーの成功者たちによる「DCブランド」ブームが起きた。
1980年代末以降、「DCブランド」に代表されるひとつのブランドによるトータルコーディネートの時代から、個人個人が気に入ったブランドを組み合わせるように着こなしていく時代へと移り、また同時期に複数の流行が起きるようになった。その中でストリート発の「ストリートファッション」が注目されるようになり、中でも「裏原系」はストリートファッションの代表とされている。1990年代末から2000年代にかけて表参道に海外有力ブランドの直営店が相次いで進出し、原宿ファッションの年齢層が拡大する。また「ロリータ・ファッション」に代表される個性的なファッションが原宿の代名詞となった。
- 1965年3月に施行された新住居表示により、それまでの原宿(1丁目から3丁目)、穏田(1丁目から3丁目)、竹下町が神宮前という町名とされて以降、住所として原宿という地名は存在しない[1][2]。原宿の範囲については人によって認識の差が見られる。例えば1990年の住民たちを対象とする調査研究結果では、竹下通り、表参道とその周辺に限定する立場から、神宮前1丁目から4丁目付近であるという見方まであった[3][4]。当記事における原宿は、神宮前全域を原宿として扱っている「原宿シャンゼリゼ会『原宿1983』原宿シャンゼリゼ会、1983」[1]、「穏田表参道町会『原宿1995』穏田表参道町会、1994」[5]、「許伸江『産業クラスターの進化とネットワーク ファッション産業クラスター「東大門市場」と「原宿」の比較制度分析』税務経理協会、2018」[6]や、神宮前を分析の対象としていると明言している「三田知美『グローバル化するアパレル産業と都市 裏原宿・表参道の都市社会学』花伝社、2022」により[7]、神宮前1丁目から6丁目の神宮前全域とする。