名張毒ぶどう酒事件
1961年に日本の三重県名張市で発生した殺人事件 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは、1961年(昭和36年)3月28日の夜に三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で発生した大量殺人事件。
概要 名張毒ぶどう酒事件, 場所 ...
名張毒ぶどう酒事件 | |
---|---|
場所 | 日本・三重県名張市葛尾76番地 薦生原地区公民館葛尾分館(現存しない) |
座標 | |
日付 |
1961年(昭和36年)3月28日 夜 (日本標準時) |
概要 | 酒席で振る舞われたぶどう酒に農薬が混入されており、それを飲んだ女性17人が集団中毒、うち5人が死亡した。 |
武器 | ワインに農薬(ニッカリンT)を混入させる |
死亡者 | 集落の住民女性5人 |
負傷者 | 集落の住民女性12人 |
犯人 | 奥西勝(事件当時35歳、冤罪との指摘あり) |
動機 | 三角関係の清算 |
対処 | 奥西を逮捕・起訴 |
刑事訴訟 | 死刑(執行されず獄死) |
影響 |
日本弁護士連合会(日弁連)は冤罪を訴え、再審を支援している。 奥西の家族は事件後、住民らから村八分にされ、村を追われた。 |
管轄 |
三重県警察捜査一課・名張警察署(捜査) 津地方検察庁(第一審)・名古屋高等検察庁(控訴審・再審請求) |
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概要 最高裁判所判例, 事件名 ...
最高裁判所判例 | |
---|---|
事件名 | 殺人、同未遂 |
事件番号 | 昭和44(あ)2560 |
1972年(昭和47年)6月15日 | |
判例集 | 集刑第184号637頁 |
裁判要旨 | |
第一審で無罪を言い渡された被告人に対し、控訴裁判所が事実調のうえ、右無罪判決を破棄し、自ら有罪の判決を言い渡すこと、およびこの場合、右控訴審判決に対し、上訴において事実誤認等を争う途が閉ざされていることは、憲法三一条ないし四〇条またはその精神に反するものではない。 | |
第一小法廷 | |
裁判長 | 岩田誠 |
陪席裁判官 | 大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
憲法31条、刑訴法400条但書、刑訴法405条 | |
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名張市の実質飛地と隣接する奈良県山辺郡山添村にまたがる集落の懇親会酒席で振る舞われたワイン(ぶどう酒)に毒物(農薬・ニッカリンT)が混入され、そのワインを飲んだ女性17人が中毒症状を起こして5人が死亡した。
「第二の帝銀事件」として世間から騒がれたこの事件で、被疑者・被告人として逮捕・起訴された奥西勝(おくにし まさる、事件当時35歳)は刑事裁判で死刑判決が確定したが、冤罪を訴えて生前9度にわたる再審請求を起こし、死刑確定から43年間にわたり死刑執行が見送られ続けた一方で、再審請求も認められることなく、八王子医療刑務所で死亡した(89歳没)[1][2]。
当事件を題材とした出版物・ドキュメンタリー番組・テレビドラマも多く制作されたが、そのほとんどが「当事件は冤罪である」との立場に立ったものである。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。