大伴吹負
?-683, 飛鳥時代の人物 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
大伴 吹負(おおとも の ふけい[1])は、飛鳥時代の人物。名は男吹負、小吹負(おふけい[2])とも記される。姓は連。大徳・大伴咋の子。官位は贈大錦中・常道頭。
概要 凡例大伴 吹負, 時代 ...
時代 | 飛鳥時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天武天皇12年8月5日(683年9月1日) |
別名 | 男吹負、小吹負 |
官位 | 贈大錦中・常道頭 |
主君 | 天武天皇 |
氏族 | 大伴連 |
父母 | 父:大伴咋 |
兄弟 | 長徳、馬来田、吹負、智仙娘、真広 |
子 | 牛養、祖父麻呂 |
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672年の壬申の乱で、吹負は大海人皇子(天武天皇)側に立って兵を挙げ、飛鳥の倭京に集結中の敵軍を乗っ取って、倭(大和)の方面の将軍になった。及楽山で敗れたが、葦池と中つ道で連勝し、最終的に大和を制圧して難波に進出した。